|訳者あとがき|
 神が創造した最も美しいもの、人間が征服した最も高貴なもの、それは馬であると言われている。人間が馬とかかわりをもった最初の動機は何だったのだろう?本書ではその源から今日までの歴史がいろいろな視点(化石、洞窟壁画、絵画、彫刻、年代、地域、種族や部族間の争い、馬術やその達人、流派、獣医学、国家、軍隊、馬術学校、スポーツ、オリンピック競技など)を通して論述されている。著者の説からは、一貫して人間は馬に服従を強い、馬は黙々として人間に奉仕している構図、つまり人間に征服された馬の姿が読みとれる。人間は社会的、経済的、軍事的に自己の存在を主張し、生活水準の向上を目指し、馬をその用役に応じて各品種の異種交配を試み、体型、能力、性質などを改良してきた。いわば新品種の産みの親であり、目的達成のために調教する育ての親でもある(軍馬、馬車用にはノルマン種、競馬用のサラブレッドやトロッター、古典馬術のリピッツア、馬場馬術ではアングロ・アラブ、アングロ・ノルマン、狩猟に最適のリムーザン、アイリッシュ・ハンター、障碍飛越、野外騎乗に強いトラケーネン、ハノーバーなど多数)。
 あまりの交配のため本来の野生馬は姿を消したかに見えた。が、ターパンと呼ばれている野生馬はポーランド政府の保護のもとで現在も生息している。NHK「新シルクロード第三集草原の道、風の民」は、中国で40年前、野生馬が乱獲のため絶滅したので、政府が19世紀ロシアの探検家が連れ帰った野生馬の子孫を譲り受け、アルタイ山脈と天山山脈に囲まれたジュンガル盆地の草原で保護育成している光景を映している。野生馬がかつてのニホンカワウソやオオカミと同じ運命をたどらなかったのは誠に幸運で、止まることを知らない人類の文明が種の滅亡の元凶にならないことを切に願うものの1人として、馬と人間の共存共栄の旅が、機械文明の発達の波にさらわれることなく未来永劫、続いていくことを熱望する次第である。
 馬と人間が織りなす壮大な歴史の流れから、私のささやかな経験をすくい上げると、太平洋戦争中、町のあちこちで荷物を山のように積んだ荷馬車を汗を流しながら、息を切らしてひいて行く馬や行進する兵士の先頭に立つ馬の姿が現れる。国民皆兵の時代、馬の扱いに慣れていれば軍隊生活が苦にならないと聞かされ、少年時代に乗馬練習を開始、初めて乗った「勲功」という栗毛馬は驚いたことに右の耳に10円銅貨より大きい穴があいていた。中国戦線で弾丸が貫通した名誉の負傷である。その上、高齢のためこの栗毛は内地送還となり、乗馬クラブに払い下げられた由。戦況は悪化し、乗馬の余裕がなくなり1年で中止、15歳のとき敗戦となる。戦後、大学予科に在学中、馬術部に入部、乗馬を再開した。状況は一変し、遊牧民などは別として、乗馬は戦闘訓練からスポーツへと180度方向を転換、4年に1度のオリンピックで優勝することが馬術の重要な目標となる。各国はこの民族の祭典で成果を上げ、国威を発揚せんがため、優秀な選手の養成に力を入れ始める。私が翻訳を担当した第3部はこのような変貌や国の対応策を含め、16世紀以降の馬と人類の歴史を熱っぽく説いている。ご一読の上、不明な点などご指摘いただければ誠に有り難い。
(以下省略)
 
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