|はじめに|

 編訳者の一人である高津が故澤田孝明氏の私家本『馬場馬術馬(DAS DRESSUR PFERD)』(以下訳本)の存在を知ったのは『ボーシェー氏の馬術』の研究を始めた1997年頃である。
 この訳本が1983年に脱稿されてから15年もその存在すら知らなかった訳である。訳本の9頁にボーシェーに関する記事があるので参考にさせて頂き、その際ざっと目を通したのであるが、澤田氏のドイツ語学力の正確さに感心させられた。訳本の序文に「昭和52年に還暦を迎え……ハリー・ボルト氏の著書を入手し写真を見て楽しんでいる、という人の為にこの訳本を作った……どなたかドイツの出版社の了解をとりつけて頂ければ幸い至極である」という一節が印象に残った。
 『ボーシェー氏の馬術』の編訳を脱稿した2000年夏に私も還暦を迎え、40年近いサラリーマン生活をやめる節目で澤田氏の言葉を思い出し、再度訳本と原著を照合しつつ通読してみたところ、馬術の専門用語の訳に多少分り難いところがあることに気づき、また「どなたかドイツの出版社の……」という示唆もあり、第2の人生の出発点として原著の編訳を手がけることにした。
 澤田氏のご遺族の方々およびハリー・ボルト氏にお目にかかり、訳本の出版をすることのご了解を得て、2001年4月から編訳および入力の作業を開始した。原著の第V章が英訳されているので参考にしたが、この版には連続写真が割愛されているために折角の原著独特の持ち味が損なわれていると思い、版権を有するHABERBECK社と協議して今回の出版となった。
 なお、原著には第W章REPORTAGE DER WELTMEISTER SCHAFT 1978 IN GOODWOODがあるが、その内容は主として英国のグッドウッドにおける世界選手権大会の写真と大会風景であるので、著者のご了解を得てその一部のみを抜粋させて頂いた。また、第V章に挙げられているセントジョージ賞典からグランプリスペシャルまでの経路は、現在行われているものとは多少異なっているが、評価の観点は現在と全く同様であるので、そのままとした。
 専門用語の訳語は『国際馬事辞典(増補三訂版)』(バラノフスキー著、荒木雄豪編訳)によったが、この辞典にない専門用語については、田村辰巳氏(全国乗馬倶楽部振興協会副会長)に相談させて頂いた。
 また読者の方々の参考になればと思い、〔付〕「オリンピック大会(1912〜2000)馬術競技入賞記録」@およびこれを含めた索引を付けたので利用して頂ければ幸いである。
 ハリー・ボルト氏は読者の方々がご承知のとおり、東京、モントリオール両オリンピックのゴールドメダリストである。ボルト氏は50歳で現役を退き、1981年から1996年までドイツ馬場馬術チームのヘッドコーチの役職にあり、その15年間にオリンピック、世界選手権、およびヨーロッパ選手権でこのチームが獲得したメダルは50個に及び、その内31個は金メダルであった。ボルト氏はこの実績によりドイツ馬術界最高の名誉勲章Deutsche Reiterkreuz in Goldを受賞した。
 連続写真のモデルは、ボルト氏がモントリオール・オリンピックで騎乗して、団体優勝、個人2位に入賞したヴォイチェク(Woyceck)号で、記号文字は故アルバート・ブランドル氏が考案したものである。ボルト氏は現在オーストラリアのパース市郊外で悠々自適の生活をされている。
 今日、日本の競技会で使われている馬場馬術馬にもドイツ、オランダなど北欧圏の産駒が多いので、氏の連続写真とその解説は読者の方々にも興味深いものがあると思う。  なお、馬術的・語学的に浅学の我々のこととて、誤編訳も多々あることと思われるので、読者諸賢のご教示、ご指導を賜われれば幸甚である。
 (後略)
2002年12月
高津彦太郎
         井上正樹
        
@〔註:原著54頁の入賞記録は1912〜1980年のオリンピックにおける馬場馬術競技のみの記録であるが、本表は前回2000年のシドニー大会までの馬場馬術、障害飛越、総合馬術の3種目の入賞記録である〕
A〔註:あとがき参照〕

 
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