本書では終始一貫「馬術は芸術なり」との思想のもとに人と馬との関係が説かれています。フランスは芸術の国として有名です。では“芸術の国の芸術馬術とは?”この疑問が私を奥の深い馬術の森の迷路に誘い込んでいったのです。原著者の未亡人、馬術家のマダム ドゥ・パディラックのお言葉にもあるように、この書では18世紀のフランス王宮で非常に高く評価された伝統的な芸術馬術の手法が平易に説かれています。日本でも18世紀に隆盛を極めた伝統芸術に人形芝居(文楽)があります。著者は文中で、騎手をピアニストやバレリーナと比較し、その相似点を説いています。私は文楽の人形遣いと騎手との間にも一脈通ずるものがあると思います。すなわち、文楽の人形では、主遣い(首と右手を遣う人)、左遣い(左手を遣う人)、足遣い(両足を遣う人)の三者がそれぞれ独立して、しかも呼吸を合わせて人形を操り、その身体全体で美しさを表現します。近松門左衛門によれば「性根なき木偶にさまざまの情をもたせて、見物の感をとらんとする」のが文楽の人形芝居です。馬術では、騎手は左右の手足をそれぞれ独立させ、扶助を使いしかも全体の調和を保ちながら操作することによって、馬を調教し絶対服従の境地に導き入れ、あたかも木偶の如くつかいこなして思いのままに、美しく、優雅に運動させて美を表現します。足遣い、左遣いに10年から15年、主遣いにいたっては、幾とせの修行が必要でしょうか!馬に優雅な躍動美を表現させるためには、一朝一夕に出来るものではなく、騎手も人形遣いも同様に忍耐と粘り強さが要求されます。しかも、馬術も人形芝居も一般の人の目に留まらないところで働く人々のチームワークが極めて重要な要素を占めるのです。
 関西大学在学中、京都は宇治、金鈴会での馬術部の合宿訓練で、今村安先生が「無理、困難、束縛を排せ」と口癖のように仰っていましたが、この本を読んで、その意味が一層深く理解できるようになりました:馬の扱い方、乗馬の手法について、騎手の心がけるべきことが説かれていますので、本書は馬の調教はもとより馬術を志す人、初心者や趣味として(馬術を芸術だと難しく考えずに)乗馬に親しみたい方々にとって格好の手引き書であります。
 相模原所在の“エクウス・ライディング・ファームの経営者で、インストラクターの上原ご夫妻のご好意により、リピッツア系九歳の牝馬“虹吹”を使わせてもらい、この原書を頂いたフランス人女流インストラクター、クロエ・ブロートランド夫人(Madame Chlo? Brotelande)に4ヵ月にわたり本書で説かれているフランス馬術の基礎を教わり併せて馬術特有のフランス語を解説して下さったことを土台に翻訳しました。それを(株)恒星社厚生閣の編集部の、片岡一成氏にとりあげて頂き、この度の出版の運びとなった次第。これら諸氏に対する感謝の気持ちを言葉で表現することは不可能ですが、あえて、MERCI MILLE FOIS!:繰り返し千回有り難う!と申し上げます。
 ブロートランド夫人の帰国後、同夫人の紹介で、ドゥ・パディラック夫人が経営・指導されているトゥレーヌ馬術アカデミーで1ヶ月間実地に馬術を習い、この著作についていろいろ教えて頂いたところ、日本の読者諸氏の理解をいっそう容易にするための夫人の配慮により、補注T、U、Vが付加されました。そのうえ、幸運にも、著者、コマンダン・ドゥ・パディラックがこの原本を執筆されていた当時、手伝われたアンヌ・マリ・レチフ嬢にも偶然お会いし、多々教えて頂きました。訳文中の(注:・・・)は大部分上記の方々のサジェスチョンによるものです。
 さらに、仙台乗馬倶楽部の指導者沼田静雄先生からは馬術および馬全般に関しご高説を承り、誠に有り難いことに推薦のお言葉まで頂戴いたしました。私が勤務していた住友商事(株)の馬術部の元部長多田初男氏、同部元マネージャー大塚道子嬢からも貴重なご意見を拝聴、大いに参考にさせて頂きました。ことほどさように、多くの方々が要所要所で光輝く灯火を差し出し、助けてくださったお陰で、馬術への迷路が明路となり、山あり谷ありの長い道のりを走破することができたことを、深く感謝いたし有り難く厚くお礼申し上げます。
 本書をお読みいただき、意味が不明瞭で難解な文章がありますれば、それをご指摘下されば誠に幸いと存じます。
 芸術馬術を極めるには、密度の高い知識と長い経験を必要とすることが翻訳を通じてよく理解できた昨今、芸術馬術への階段をどこまで登れるか試したいとの誘惑にかられ、虹吹を相手に引き続き練習し、馬術を楽しんでおります。
2001年6月
吉 川 晶 造