|訳者あとがき|

 木漏れ日の中を,低い木々の枝をかいくぐったりしながら馬に乗ったのが,私の生まれて初めての乗馬体験だった。アメリカのオレゴン州セーレムの郊外でのことで,留学中の夏休み,訪問先の牧師夫妻が連れていってくれたときのことである。鞍にはしっかりしたホーンがついていて,つかまるところがあった。帰国後,私は乗馬レッスンを受けにいったのだが,初日,私はホーンのない鞍で騎乗し,一度目に落馬した後,定石どおりすぐまた騎乗させられ,再び落馬したのだ。恐怖心のかたまりだった。それっきり私は馬場に戻らなかった。かつての逍遥騎乗の楽しみの記憶だけで,馬術のことは何も知らなかったのだ。

 けれどもその後,大学馬術部出身の主人について,あちこちで乗ることになった。馬蹄のバックルのついたバッグにあつらえた長靴をはじめ一式をいれて持参する主人とは違って,私の乗馬はいつまでも馬術とは程遠い,ほんの一時の楽しみに乗せてもらう域を出ないで今に至っている。その間レッスンも受けたが,特に心に残るのは,南仏グラースの近くのサンジョルジュ馬場(Cercle Hippique Saint Georges)で受けたものだ。足元がふかふかの大きな屋内馬場で,5 歳くらいの女の子の次が私の番だった。馬上で何もしないで体中の力をすっかり抜いて,うしろに体を倒して寝なさいというのが始まりだった。あのインストラクターのマダム・ジノウとなら,私も馬術の世界に入れたかもしれない。このような私と主人の馬術に対する気持ちは,娘に伝染し,彼女は大学の馬術部に入り,4 年間どっぷりとその苦楽を味わうことになった。

 またその後,今度は主人の中年になっての留学に同伴したロンドンでは,乗れる所が多くあり,電話で予約して乗りにいった。イベントもいろいろとあり,その一つ,エリザベス女王のホームであるウィンザー城のそばで催されたホースショーを観に出掛けた。これはかの地でなければ見られないといった類いのもので,二輪馬車競争や,子どもが乗ったポニーの競馬まである,それは楽しいもので,優勝者には,観覧席から降りて女王自らメダルを手渡される。会場のまわりには,さまざまな出店のテントがならび,終日,人と馬が行き交い,夜ウィンザー城の上に花火が上がって,大合唱で幕を閉じた。

 次の日,ウィンザーに隣接するイートンの,かの有名なイートン校の前の馬具屋で出会ったのが,本書,ケイト・ハミルトン著“Dressage an Approach to Competition”である。馬場馬術を目指す人に対して,その人のおかれた状況や条件を考慮に入れた,馬場馬術用の馬の選び方に始まって,その馬をいかに調教し,どのような競技を目指して人馬共に熟練していくかを,各レベルにわたって指導する教本で,“高きを目指しなさい!”という著者の熱い応援の気持ちのこもった本である。彼女は自身優秀な騎手で現役の競技会参加者の常連であると同時に,英国馬術連盟(British Horse Society)のフェローで,その卓抜な指導力により,あらゆるレベルの騎手を指導し,また多くの馬を調教して優勝馬の水準に育て上げることに成功してきた人である。フェロ−というのは,よき指導者を生むことが,馬術界全体のレベルを上げることになるという信念で英国馬術連盟が実施している,厳しい教官資格試験の中でも最高の資格である。彼女の実際の指導を受けるという経験にはとうてい及ばぬまでも,彼女の熱心なアドバイスを日本語にしてお届けすることで,いくばくかのお役に立つことになれば,馬術に踏み入れずに,したがってその苦しみも味わわずにきただけ純粋に馬術に憧憬を持ち続けてきた者として望外のよろこびである。

(以下省略)

1997 年夏京都醍醐にて

中山照子

 
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