|訳者の言葉|
1.先年ははからずもW.M殱eler著Reitlehreの第9版(発行年月不明,しかし著者序文には1933年と記入されている)を読む機会を得て興味を持ち四条隆徳氏の独和小事典をたよりにこれを全訳したことがあったが,今から思うと全く盲目の勇で,誤訳も多く恥しい話であった。しかるにこの謄写版刷が城戸俊二先生の御目に入り,詳細なる訂正と指示を辱くした。御多忙中にもかかわらず,読み難い謄写版刷の悪文を初めから終まで目を通されて一々御親切な指示を賜ったことについては何ともお礼の言葉がない。もともと備忘録の草稿位のつもりで逐字訳を試みたものであり,馬術の述語もよく知らずに訳したのであるから誤訳の多かったのは当然である。それでこの城戸先生の御訂正を基としても一度全文を読み直したいと思いながら数年を過ごしたのであるが,今度はからずも大阪乗馬会の工藤稔氏の御好意で本書の英訳版
  Riding Logic,translated from the German by 
      F.W.Schiller(初版1937年)
 の1953年版を通読する機会を得,又城戸先生から原書の1950年発行の第32版 を貸して頂いたので,私の机上には原書の第9版本,第32版本と英訳本と城戸先生の御 書入の小生の旧稿と4冊のM殱elerが並んだわけである。そこでこれを好機として旧稿全 文を書き直した。これが即ち本稿である。
2.英訳本は原書第9版以後の版を台本としているらしく之と処々内容が異っているが大 した相違はない。原書第32版本は多少書き直され水馬,地上横木の節が追加せられてい るが,これ亦その内容には大きな変更はない。主なる変更は馬の調教篇における節の順序 の入れ換である。
 もともと本書の価値の大半はその豊富な写真,図版にある。之等の写真,図版は英独三 書を通じ殆ど全く同一であるから版が異っても内容は殆ど変わってないといってよい。
本当をいえば最新版の飜訳を試みるべきであるが,英訳版と対照する便の関係もあり, 敢て第9版の旧稿の手入れで事をすます意をきめた。その代り城戸先生の御訂正を頂い ているし,英訳本もよく参照したので本稿には大きな誤はないつもりである。
3.本書は初版発行以来二十数年間ドイツにおいて数万部を売捌き居り,五カ国の外国語に飜訳せられている。普通乗馬の要領を親切丁寧に説ける良書の一つと見るべきであろう。
 しかし記述は難解である。矛盾せる説明が少くない。記述を文字通り理解せんとすれば不可解の嘆を発せざるを得ない点も二,三ではない。これは馬と言う生き物を相手にするスポーツであるだけに,詳しく述べんとすればするほど迷路に入る傾を生じるので,けだし止むを得ぬ事かもしれない。
 読者はすべからく文の行間に隠されたる著者の真意を汲みとるべきである。これは何れの馬術書においても然る事であろう。
4.遠慮なくいうならば著者はやや饒舌であり贅言が多い。日本古来の馬術書如く“眼は  遠山の霞を望むが如く”というような禅の公案にも似た文句も困るが,さりとて著者のように“多くの場合に騎手を邪道に誘う危険性の生じる懼があり得る”というような文句にはいささか困った。“騎手を誤り易い”で充分である。前回なるべく逐字訳を試みた時にもうんざりしたのである。この点,英訳本はさすがにあまりくどい説明や大げさな表現をうんと簡略にして,しかも内容を正しく_んでいる。しかし私にはそれだけの省筆の能はないので今度もなるべく逐字訳に近い文章とした。
 さらでだに拙い日本文が甚だ生硬で且つ舌足らずの文章になっているのはこれがためであって,読みづらいかと思われる節は多分にある。平に判読を乞いたい。
5.馬術語はなるべく旧日本馬術教範のそれに従うようつとめた。困ったのは固有名詞や  訳語のない述語の書き方であった。いろいろ考えて次のような方針をとった。
  国語化したものは片カナ,それ以外はドイツ語の綴をそのまま採用。
   例えば  フランス,ドイツ,パッサージ,ルパード。
        Wien M殱eler Spanische Reitschule
 従って国名は片カナ,人名,馬名は全部原語通り,馬術語は訳語あるもの以外は片カナ  である。
6.原書には篇,章,節に一切番号が打ってない。ただ活字体で区別している。しかし  之では読解に不便と思われるので本稿では適宜番号を打つことにした。また写真版は全  部まとめて巻末に附した。これも原書と異なる点である。
 
ウィンドウを閉じる