|はじめに|

 科学散歩を始めた経緯、巡る史跡の実際、そして科学散歩の対象になった人物が日本の男性科学者から女性科学者、西洋人科学者へと移ってきたことについて、本書PARTTのあとがきで述べた。このPARTT「新しい世界を開いた西洋科学者」では、ニュートン、アインシュタイン、レントゲン、マリー・キュリーなど名の通った西洋人科学者ばかりを取り上げた。
 それに対して、PARTUでは、「近代日本の建設に貢献した西洋科学技術者」として、幕末・明治期に来日したお雇い外国人を中心に二五人の人物を取り上げた。ニュートン、アインシュタインなどとは違って通常の科学技術者であって、知名度も落ちるが、むしろ、このような人物こそ知っておかなければならないのではないだろうか。鉄道建設で来日したモレルは、肺結核に感染して三〇歳の若さで横浜で亡くなっている。ベルツとスクリバは、ともに二〇年に余って東京大学医学部に在籍し、その発展に尽くし多くの後進を育て上げた。コンドル、ヘールツのように、日本人妻を娶り日本を愛し、日本の土になった人も少なくない。在日期間が一年や二年と短かった人でも、その影響力はみなそれぞれに大きかった。長崎オランダ商館の医官シーボルトなどは、その影響力の大きさ最たるものがある。学ぶ側の日本人自身にも熱い思いと真剣さがあった。
 取り上げた外国人二五人は、それぞれにその道の代表的人物といえよう。日本の発展の礎を築いてくれた恩人ばかりである。目次を見て、どの人物からでも読んでいただきたいと思っている。本書をガイドブックとして現地を訪れて、実際に肌で感じとっていただければ、なお嬉しい。現地には、現地でしか体験できない感動と発見がある。巻末には、PARTTとUとを合わせて、本書に取り上げられなかった人物や場所も含めて一括した史跡一覧表を載せている。
 本書は、二つの月刊誌『心とからだの健康』(健学社)と『技術教室』(農文協)に連載させていただいた記事をもとにしている。お世話になったそれぞれの雑誌の編集長、細井健司氏と金子政彦氏にお礼を申し上げたい。(後略)
2014年1月
                 著者

 
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