|はじめに|
 山口大学の時間学研究所は,数学者 広中平祐先生が山口大学長時代の2000年に産声を上げた,「時間」に関して研究する施設です.現在,研究所は,3つの目標をもって活動しています.その1つは,時間学という新しい学問領域を切り拓くことです.これまで,時間論と題された研究はありましたが,ほとんどが哲学や物理学など1つの学問領域の中でなされてきました.私たちが目指しているのは,時間の純粋理論,時間的視点による方法論,表象として現れる時間の研究,時間に関する人間の生活課題や時間の利用法といった応用的研究まで時間の全領域を視野に入れた学問を構築することです.例えば,「時間は存在するのか」,「時間とは何か」,「労働時間と過労」,「文学と時間」,「時間の過ごし方」などのテーマを時間学として総合的に捉え,解釈する学を構想しています.そのためには文系,理系という学問間の壁を取り外し,新たな時間学という知の創造のために,文理融合の学問を目指す必要があります.この文理融合の学問の体制づくりが2つ目の目標になります.1つの学問領域で考えるのではなく,全ての学問領域に門戸を開き,そうした学問間の壁を取り払って研究することを目指しているということです.そして,3つ目は,時間の研究で得られた成果物を大学内に留めることなく,広く一般社会に還元し,社会に貢献することを目指しています.
 本書は,こうした研究所の目指す活動の中から生まれました.執筆者は,全員,山口大学時間学研究所に関わって時間の研究をしてきた研究者です.多くは,平成18年度の山口市の「やまぐち街なか大学」において「時間学の構築」というテーマで開講した時の講師陣で,専攻領域も物理学,生物学,地質学,情報科学,哲学,心理学,社会学,経済学,日本文学にわたっています.所属もまちまちです.中には,途中,他大学に移籍した研究者もいます.この書物は,『時間学概論』という表題からもわかるように大学生や一般の読者を想定して書かれた入門書ですが,これから専門的に研究しようとしている研究者にも役に立つ内容となっています.いままで語られることのなかった時間学の視点が随所にあると思います.それというのも,この10年ぐらいの研究会やセミナーなどで議論したアイデアが各章の中に反映されているからです.
 本書は,9章からなる論考を「時間の流れと記録」,「生きものと社会の時間」という2部の構成に分けています.「時間の流れと記録」では,時間とは何か,時間の流れ,時間の計測といった時間の原理的な問題を扱い,さらに地球の長い地質学的歴史の時間やコンピュータの情報化の中で時間の記録を扱っています.次の,「生きものと社会の時間」では,発生や進化という生物にとっての時間,人間の時間認知や時間感覚などから人間の心の時間,文学で語られる時間表象の解読作業の方法,そして現代社会における社会的時間の特徴と課題,労働時間と余暇時間のあり方について論じています.

 考察されている内容は,時間のもつ過去性・現在性・未来性,自然の時間,生物の時間,人間の時間,社会の時間など,固有な学問からの語りとはいえ,テキスト全体からは全ての時間を考慮しての論考となっていると思います.もちろん,これら論考によって時間に関する問題が全て言い尽くされているとは思えませんが,時間研究の課題について論究することができていると思います.

 本書は,時間学研究の目指す様々な活動の中から生まれた成果であり,今回のテキストの執筆に関わることのできなかった研究者との議論や助言,一般の受講生の質問などを受けて完成したものであることをここに言及しておきたいと思います.

 最後に,本書が我が国における時間学の発展の礎石になり,「豊かな時間」を志向する人がひとりでも多くなることを切に念願したいと思う次第です.
                 時間学研究所長 辻 正二
 
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