|はじめに|

 私がクロマトグラフィーに接したのは,奈良の田舎町で働くようになった 30 年前のことであった.

 当時はまだ液体クロマトグラフィーは開発段階で,一般市場には普及していなかった.私が当初扱った装置も,ガスクロマトグラフィーであった.当初のガスクロマトグラフィーはかなり調子が悪かったようで,私の前任者が壊していて,研究室の隅でくすぶっていた.昔の職場は少し丁稚奉公的色彩が残っていて,現場での実施作業を数ヶ月行ってから本職場(私の場合は研究室)に配属されることになっていた.私の場合も職場は炎のように忙しく,現場監督にしかられながら毎日を送っていた.しかし幸運がやってきた.前任者がガスクロ装置を置き去りにしてくれたお陰で修理する必要が出来て,私は少し早く研究の仕事につけることになった.(実際は何ヶ月も早かったようである……何が幸いするか,この世は分からない)このガスクロ装置は私の存在価値を認めてくれるようなことになり,私は夜も昼もこの装置の分解掃除に費やした.幸いにも,その当時の営業マン(ガスクロ工業の方)も責任を感じていたこともあり,懸命に協力してくれた.実際は私よりもこの方のほうが活躍したと言っても過言ではない.自ら修理してみると,クロマトグラフィーのすばらしさが理解でき,クロマトグラフィーの有効活用に精を出す毎日となった.そんな頃,もっと有効な液体クロマトグラフィーが開発され,市販化されるというニュースが入ってきて,その装置導入を上司に進言したのが,つい先日のことのように思い出される.

 その当時の上司も私の毎日の悪戦苦闘振りを見ていたようで,社長へ上申してくれて,購入することになった.その上司と装置を製作している茨城の日立製作所へ見に行くことになった.私たちの装置は八割方出来上がっていた.その装置をこの手で触ったときの感じは感無量であった(その当時,私たちの装置は製薬メーカーの次で 2 台目ということであった).

 そうこうしているうちに四国の食品会社の研究室で,クロマトを活用して栄養成分を分析する仕事に従事することになった.
 その後,愛媛大学で液体クロマトを活用して,学位も得た.振り返ると液体クロマト漬けの 30 数年であったように思う.その間に,液体クロマトグラフィーのテクニックに関する書籍を 4 冊出版し,その 1 つは大変良く利用・活用されていると聞く.その中でツウェット博士のことを知り,興味を持ったのはここ 4〜5 年前からである.きっかけはクロマトグラフィーの英書「75 years of chromatography a historical dialogue」の終盤(483 ページ)にエテレ(L. S. Ettre)が著したツウェット博士の小伝があった.その中にツウェット博士自身の写真があった.その写真が何となく私に似ているように思えた(自分の独りよがりかとも思っていた).
 研究仲間や友人にその写真を見せると“似てる,似てる”と言うのである.これが大きなきっかけとなって,毎夜のコーヒータイムはツウェットタイムとなってしまった.約 2 年間毎夜,ツウェット博士に関する勉学を進めた.論文,研究者,写真,その他なんでも調べた.おかげで分取クロマト研究会の講義用の小冊子が 3 冊も仕上がった.その途中でなけ無しのお金をはたいて,現在ツウェット博士の第 1 人者であるモスクワの石油化学研究所の教授である V. ベレツキンを訪れ,共同研究を行なったり,クロマトグラフィーの発見・研究場所であるワルシャワ大学を訪れ,ツウェット博士のメモリアルプレートをこの手で触れたりすることが出来た.その足でルブリン大学のソベツインスキー(E. Soczewinski)教授の所に行き,ツウェット博士の貴重な書を頂いたりした.

 クロマトグラフィーを扱う楽しさはいくつかあるが,その中で物質を分離していくと,有用な成分がわかり,取り出すことが出来る,ということ.また有用でないと思われていた混合物でも分離して種々の効能について調べていけば,その成分の有効性が明らかになってくるということであった.これらのことに私は非常に興味が沸いた.というのは,適材適所の考え方を気に入っていて,このクロマト技法は分離することによって役立つかどうか,判定できるのである,すなわち,有用でないと思われているものの中でも分画することによって,価値が見つけられることがあるのである.
 現在,わが国では研究員がクロマトグラフィーを有効活用して,研究成果を上げてきている.しかし,クロマトグラフィーの発見・発明の歴史やその背景については理解しようとしていない.あまりに成果中心になり過ぎている.日本人は人マネはうまいが独創性がないとよく言われているが,その原因は深い洞察力の欠如ではないだろうか!やはりその装置の原理,理論,歴史的発見,発明(科学史)を理解する事が独創性を生むためには必要なことであると私は信じている.
 このような理由で,ツウェット博士のすばらしさやクロマトグラフィーのすばらしさを,日本の若き研究者達に知ってもらいたいという一途な気持ちから本書を出版する決意を固めた.(ツウェット博士の写真の面影が私に少し似ていたというのが大きな動機になったのも事実であるが).

 本書をしたためていく過程で,ツウェット博士のアイデアのすばらしさ,その当時の研究の難しさ等多々興味津々のことがあり,わりと楽しく仕上げることが出来た.もちろん,外国語の文献等,私の研究仲間や友人の大いなる援助がなくては,本書は仕上がることはなかった.それと私が訪れた海外のツウェット研究者の方々の温かい援助なくしては,この書を仕上げることは難しかったと感じている.

 この書の目的と有効活用について記してみたい.
 本書の目的は,上述にも記したが,ツウェット博士の分離分析法に関するアイデアのすばらしさを研究者や理化学に興味を持っている方々に伝えることである.
 同時にクロマトグラフィーの科学史として現在,研究に有効にクロマトグラフィーを利用している技術者,研究者の啓蒙の書となること,また今後技術者,研究者として活躍をしていこうとしている学生達の啓蒙書として有効利用していただきたい.そして,本書の抜粋書が高校課程の副読本の 1 つになることを望んで著者の序文としたい.

 “Tout Progres scientific est un Progres de methode” ----------R. Descartes
 “すべての科学の進歩は方法の進歩である” デカルト
 (M. S. Twett 著 Khromefilly V. Rastitel' nomi Zhirotnom Mire−1910 年より)
    瀬戸内海の小島(祝島)にて H14. 3. 14 記         著者

 
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