|あとがき|
 この本は,高等植物の生理学および生化学の入門のための参考書である.しかし,これらの学問分野のすべての領域を網羅したものでは,もちろんない.もっとも基礎的な領域,とくに高等学校の生物学の授業や大学教養課程の生物学通論(さらには専門課程の植物生理学概論)で学ぶ基礎的に重要な内容を重点的にあつかった読み物でもある.
 本書の狙いはもう一つある.“植物らしさの由来を探る”という副題を付けたが,植物に対面したときに,微生物,カビ・キノコの類,あるいは動物とは違った形で受けとる印象を,生理学・生化学の面から掘り下げて見よう,というのがそれである.その中で,植物と長年つきあう過程で私が感じ,あるいは抱くようになった,奇異とも,頑迷とも,あるいは一人よがりとも揶揄されかねない自身の“植物観”をあちこちで開陳させてもらった.したがって,従来ほとんど,あるいはまったく話題にされなかったような記述に接触されるものと思われる.すなわち,第 1 章「植物と動物」における植物と動物の比較,第2 章「植物はなぜ固い」,第 3 章「植物は大型化する」,第 4 章「陸生生活への適応」,第 5 章「植物の個体発生」(とくにその「生長」についての部分),第8章「廉価な食物」,そして第 10 章「植物は作り過ぎる」などの諸章で,植物に対する聞きなれない見方が述べられている.そのさい,これまで曖昧に,あるいはほとんど無意識に使用されてきたいくつかの用語の“定義”の見直しも行ってみた.数例をあげると「高等植物」「生長」「栄養素」など,誰でもが接し,使ったことのある用語である.
 これら以外の諸章,すなわち,第 6 章「働きの調節と統合」,第 7 章「液体の動き」,第章「栄養の維持(とくに光合成)」は,植物らしさの由来に対する理解をさらに深める上で参考になるだろう.
 植物学を学んでいる人たちには,植物の体の構造がどうなっているか,植物界にどんな仲間が存在しているかなど,いわゆるかつての“博物学”の知識を軽視したり,さらには無視しさえする学究もしばしば見受けられる.かくいう私も以前にはそのような感覚でいた.しかし,初老近くになってから往年の諸先生の学識や警句を思い出して反省し,余暇のおりには山野を跋扈して,私にとっては“新種”となる植物を追い求め,その実際の姿に接してそれまでの蒙を大いに啓かれる,という言うも恥ずかしい経験をした.いささか気障っぽい言い回しになるが,生物の世界の多様さに心を動かされた.このような体験もこの本の素材となっている.
 本書には最近の若い研究者たちがとびつきそうな遺伝子関連の話は,ほとんど出てこない.それを割愛したのは,紙幅に制約があることのほかに,生理学や生化学と銘打った教科書なら,その知識が例外なく記述されているからである.それにしても,生物学通論や植物学概論の講義を聴講する学生は,この分野の話には目を輝かしあるいは耳を欹てるが,植物の基本にふれた古典的な内容の話にはあまり興味を示してくれない,という印象を常々受けている.だから,若い世代からは,時代おくれとの批判を受けると思う.しかし,植物学のどの分野を学ぶにせよ,植物の分類や構造に関する基礎知識も必要なこと,植物学には未解決のまま放置されているような研究領域−一例をあげれば師管における物質の輸送機構のような−がたくさん残されていることも認識していただきたい.
 “私が学んだのは生物学で,植物学や動物学ではない”という主張を聞かされたことがある.一方,“植物は動物とはまったく異なる生物だ”,という強弁に接したこともある.生物とその活動の現れである生命には,いたるところで共通性と多様性に出合う.どちらの方向を選択するかは人さまざまであるが,どちらか一方を排除する姿勢は感心しない.あらゆる形態の生物の共通原理を追求するのが生物学の主流となっている現在,生物や生命の多様性の一面をも,この本で描いた植物の生きざまの中から汲み取っていただけたら,本書の上梓にとって望外の収穫である.
 そのためのお力添えを賜った恒星社厚生閣の小浴正博氏に,末尾ながら感謝の意を表したい.
  2002 年 4 月
佐 藤 満 彦
 
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