|はじめに|

 本書は X 線の発見者 W. C. レントゲンの生涯を中心に X 線発見の背景,その反響などについて述べたものである.

 私は 1960 年頃より医用 X 線装置の高電圧現象,写真効果などを計測する一連の計測器の開発を行ってきた.またその頃より,放射線技師の診断用 X 線装置の講義を担当し,その講義内容については装置の進歩に伴ってその都度追加して補ってきた.1979 年,これら資料をまとめ「診断用X線装置」と題して出版した.これは幸いなことに多くの方の支持により,改訂 5 刷を重ねることができたのは誠に感謝に耐えないことで,厚く御礼申し上げる.しかし本書は専門書としての内容が多く,学生の教科書用としては消化しきれない部分もあったため,1990 年,教科書用として『放射線機器工学[T]』を出版した.

 ところで,『診断用 X 線装置』の出版にあたり,X 線発見の背景,その発見,レントゲンの生涯などについては一般教養書の伝記を参照させていただくつもりであった.ところが,レントゲンの伝記を探したところ,当時,物理学者の伝記は数多く出版されていたにもかかわらず,レントゲンの伝記はどこにも見当たらなかった.これは著者にとって意外なことであった.医学への応用はもちろんのこと,近代物理学誕生のきっかけとなったX線の発見,その発見者の伝記がないということは一寸信じられないことであった.以前より,放射線技術史に強い関心があった私は,この時以来,自分で資料を集めてでもいつか X 線発見の背景からレントゲンの生涯,発見の反響そしてX線装置の歴史をまとめたいと強く思うようになる.著者が最も積極的に放射線技術史関係の文献を集めたのは 1975〜1985 年で,古いものは 1858 年のプリュッカーから集めた.

 1994 年頃,X 線発見 100 年を記念して,それまで集めた私の資料をまとめ放射線技術史として出版する予定であったが,諸般の事情から断念せざるを得なかった.

 それから 5 年後,幸い引きうけてくれる出版社が現れ,出版の件はまとまった.当初は X 線発見の背景からレントゲンの生涯,発見の反響そして発見から現在までの装置の進歩の変遷まで 1 冊にまとめる予定であったが,前半の発見の反響までは科学に興味がある方なら十分内容を理解できるということから 2 冊に分け,前半は発見の反響までとし,後半は発見当時のX線装置から現在に至る 100 年の変遷(2001 年 1 月出版予定)としてまとめることとした.

 本書では第 1 章で低気圧体中の放電現象を述べ,第 2 章でレントゲンが低気圧体中の放電現象に興味を持ち,陰極線の研究過程で「放射線の一新種」を発見するまでを記述する.第 3 章ではレントゲンの生涯について述べる.少年時代はオランダで過ごし,専門教育はスイスのチューリッヒで受ける(機械工学)が卒業後,物理学に転向し,物理学者として業績を積み重ねていった.第 4 章はX線発見の反響を物理学,医学,一般社会の諸相において述べる.第 5 章はレントゲンのノーベル物理学賞受賞の頃から終生レントゲンを中傷したレナルトを取り上げる.第 6 章はアメリカで全く根拠のない論評が書かれ,これを引用した人々によって歴史が変えられてしまったという考えられないような事実があったことを記述する.

 X 線が発見されて 100 年が過ぎた.科学の歴史の中で X 線の発見ほど科学者はもちろんのこと,一般の人々にも大きな衝撃を与えたものはないだろうと言われている.そしてこの X 線の発見により,人類が受けた恩恵は計り知れないものがある.

 不透明な物質を透過する不思議なこの放射線を,医学者達はこの応用を推し進め,物理学者は先を争ってこの解明を始めた.X 線は発見から 1 世紀を過ぎた今日でも医学はもとより理学,工学への有用性は益々高くなっている.しかしそれにもかかわらず,日本においてはこの発見者の伝記,発見の経緯などは欧米と比較すると僅かで,数年前,漸く訳書であるが,出版された程度である.しかし,まだ知られざる興味深いエピソードもかなりある.これらは時がたつにつれ,忘れ去られることになる.本書ではそれらをできるだけ多く取り上げた.本書が 100 年前の X 線発見・創成期の理解に役立てば幸いである.

(以下省略)

2000 年 8 月

著 者

 
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