|はじめに|

 虹は、いつの時代にも多くの人々の興味をひいてきた。しかし、その具体的な興味の方向は、年齢や立場によって異なるであろう。子供であるならば、子供の眼で虹を見る。毎年夏の詩や作文、絵画になんと多く虹がとりあげられることか。大人の場合でも、画家なら絵画でもって、音楽家なら作曲を通して、虹の何たるかを表現するであろう。宗教家なら神の啓示を読み取るであろう。

 これまでの文芸作品においても、しばしば虹がとりあげられてきているし、タイトルに虹の名がつく作品は枚挙にいとまがない。作家は、作品の中に虹そのものが出ていなくても、あるイメージを持って、自分の作品に虹の名をかぶせるのに違いない。「虹をつかむ男」のタイトルを持つ映画もこのほど制作された。

 科学者は科学者で、虹の現象に自然の法則性を見出そうとして、精力的に研究を続けた。虹を科学的により精密に理解するためには、量子力学の知識も必要であるといえば、驚かれよう。いやむしろ、虹を理解しようという知的好奇心が、その時代時代の新しい科学を生み出し、科学を発展させたというほうが当たっている。虹は、新しい科学を創造する原動力となったのだ。

 一方、虹は一般民衆の間に神秘な現象として深く根をおろし、世界の各地で虹信仰や神話・伝説が語り伝えられている。それらが国や地域ごとに違っていたり、反対に国や地域が違っていても同じであったりするのも、おもしろい。

 このように、虹は見る者の立場によってどのようにでも見える。ものの見方を文科と理科とに分けるとするならば、虹ほどその両面を合わせもつ現象は少ない。虹は文科と理科とをむすぶ架け橋ともいえるだろう。

 本書は、虹を通して見たひとつの文化史の試みであり、虹の科学的研究史とその到達点を述べた書である。

平成一一年(一九九九)一〇月

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