|はじめに|

 家康が江戸に幕府を開いた頃、イタリアから宣教師スピノラが来日した。彼は慶長9年から同16年まで7年間も京都の天主堂で布教の傍ら数学を教えた。これがわが国数学の誕生のきっかけの一つであると思って研究した。このことは6,7年前、宮崎賢太郎の著書と論文によって初めて判明した。

 私はこれを柱として研究した数篇の論文中、ことの全部を伝えるに足るものを第1編に収め、第2編には数学の知識、詳しい説明を必要とするものを収めた。これが私の研究の全部である。繁雑過ぎる感もあるが、初めての試みであるから、将来の研究に役立つものと思う。

 長年和算史を研究してきた者が近年のキリシタン史に触れ、本書で記したような歴史的仮設をもつにいたった。ともかく今後の詳細な研究の呼び水になれば、それで満足である。

 第3編には、関孝和について述べた。孝和は6歳の頃、江戸で父母を失ってから、25歳の頃、甲府藩に仕えるまでの間の消息は全く不明である。従って孝和の学問の成立や天才がどうして発揮されたか、説明出来なかった。

 所が10年ばかり前に鈴木武雄の著書によって、孝和は駿河国の豪商松木家と知り合いであることを知った。これを手懸りとして、孝和の学問の成長はかくの如きものであろう、と思って書いたものが第3編である。これによって、孝和を巡る学問の真相を明らかにする一助となれば幸である。

(以下省略)

 
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