|はじめに|

 現代人の自我が危機に瀕しているといわれる。人々は「自分が何だかよくわからない」、「自分はどうしたらよいのかわからない」と訴え、自分を明確に確認できない「アイデンティティの喪失」状態に置かれてしまっている。
 人間において自分のことは自分ではよくわからない。自分のことを自分一人で知ることはむずかしく、他の人間を通じて自分を知る必要がある。人間の自我は孤立したものではなく、常に、他の人間とのかかわりをもつ社会性を有している。作家の鷺沢 萌によれば、「他者がいなければ自己も存在し得ない。つまり『私』という『自分』は、他者によって生かされている」(鷺沢 萌『待っていてくれる人』角川文庫、二〇〇七)。自我は他者あってのものである。
 自我は、これまで、孤立したイメージにおいて考えられてきた。しかし、この自我のあり方は、次第に、自己中心的となり、他者の存在を無視したり、他者を自己の目的の手段として利用する利己主義になってしまった。ここから、人間の自我を、本来、他の人間とかかわりをもつ社会的なものであると考える必要がある。現代人の自我の状況は自我自体の消滅を意味するのではなく、孤立的な「近代的自我」のイメージの消滅を意味している。そこにおいて「アイデンティティの喪失」はあっても、「自我の喪失」はなく、あるのは「自我の変容」である。
 本書は、人間の自我を他の人間とともにあり、他者とのかかわりにおいて社会的に形成されるものと考え、そのことを具体的に明らかにすることを目的としている。そして、他者や社会との関係が異なることによって、自我のあり方が多様なものとなることを考察している。
(中略)
 このように、本書においては、人間の自我のあり方について社会学的な考察がなされ、自我が孤立的ではなく、他者とのかかわりにおいて社会的に形成され、展開することが示されている。そして、このような自我のあり方を現実に即して具体的に解明することが本書の目的となっている。
 読者は、本書を通じて、人間の自我が社会的であることを何よりも理解してほしい。そのために、「鏡に映った自我」、「柔らかい個人主義」、「人と人との間」、「間人主義」の概念について、理論的のみならず、その内容を具体的に検討してくれればと思う。ついで、自我が他者とのかかわりに形成されることを、他者の「役割取得」、「一般化された他者」の概念を用いながら、自分の自我の形成について具体的に考えてみてほしい。
 そして、人間が完全に社会化されてしまった存在ではないことを「役割コンフリクト」や「ラベリング」に関して検討し、そこから、人間の積極的行為として自己表現、「役割距離」、「調整」行為、「役割形成」について考察し、その意義について具体的に明らかにしてもらえればと思う。
 それとともに、人間の主体的あり方を生み出すものとして「主我」、そして創発的内省が存在し、それによって、人間が自我を変容し、また他者や社会を変容することを明らかにし、そのためにも、人間の内的過程の解明がさらに必要であることを十分理解してほしい。
 本書によって、人間の自我のあり方についてさまざまな見方を知り、現代人の自我の様相を理解するとともに、自分自身の自我のあり方を考えるきっかけとなればと願っている。
 なお、本書は『自我の社会学』(放送大学教育振興会、二〇〇五)をベースに、それを修正、変更、再構成するとともに、第十章「変容する自我 ― ケータイする自分、ネット上の自分」を新たに書き加えている。また、各章ごとにQ&Aを設けるとともに、ブック・ガイドを載せている。

 二〇一〇年九月                船津  衛

 
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