|はじめに|
 現代という時代において、われわれはデュルケームの社会学をどのように扱うべきなのだろうか。すでに百年以上前に書かれた『社会分業論』、『社会学的方法の規準』、『自殺論』、そして二十世紀初頭に書かれた『宗教生活の原初形態』は、古典にすぎないのだろうか。
 私は社会学の授業(全十四回)の中で、デュルケームにかなりの比重をおいている。それはデュルケームの説明に時間をかけているというわけではなく、デュルケームが主張した内容、とりわけ社会による「個人の形成」および『自殺論』における「個人と集団の関わり」に時間をかけ、学生の身近な経験を通して社会学的な視点を教えているということである。そして、感想では、「生きる勇気が湧いた」というものから、「社会、家族、自由、歴史などについてはじめて関心をもち、その複雑さとともに、重要さに初めて気づいた」「大学生全員の必修科目にするべきである」など、私の予想を遙かに超えた感想をたくさんいただいている。
 他方、私はデュルケームの社会学が時代や空間によって理想や道徳が変化し、真理や常識が変化することを強調したことを踏まえ、デュルケームの考えを学生に押しつけようとは考えていない。むしろ、そこでは各自が考えたことを皆で話し合い、共有し、同時に自分と他人の考えが異なり、自分の考えを相対化できるように試みている。
 現代において社会学的な思考を有することは非常に重要であり、その中でもデュルケームの社会学は重要な位置を占める基本的柱の一つになると考えている。とはいえ、従来のデュルケーム解釈では不十分であり、さらに再考を必要としているように思われる。デュルケームは生きる喜びは集団に所属することによって生まれると述べている。現代の希薄な人間関係、経済機能の台頭、膨大な情報量の中での不十分な批判による情報の受容など、現代社会の現状を認識すればするほどに、デュルケームの統合論およびシンボリズムを見直し、再検討する必要があると思われる。
 本書は、そのような背景から書かれた私の博士論文を短くまとめ直すと共に、加筆・修正したものである。とはいえ、本書によって前記のような再評価がすべて終了したとはいえない。むしろ、デュルケーム社会学の再評価はほんの第一歩を踏み出したにすぎないと考えている。
以下省略
          二〇〇七年三月
 
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