|はじめに|

 一九三四年の夏、アメリカのシンシナティ大学の社会学教授アール・エドワード・ユーバンクはヨーロッパを旅行し、イギリス、ドイツ、オーストリア、チェコスロヴァキア、フランスの当時の最も著名な社会学者を歴訪した。本書はこの旅行とその成果と結果を記したものである。
 本書は三つの章で構成されている。第一章はユーバンク、彼のヨーロッパ旅行の背景、彼のプロジェクトについて記述した。第二章は、彼が訪問したヨーロッパの社会学者との面談を、できる限り完全に再現した。第三章では、ユーバンクの愛他的な努力について述べる。彼の努力とは、ナチスに脅迫された数名のヨーロッパの社会科学者とその扶養家族がアメリカ合衆国に亡命するのを援助したことである。
 本書の初版は、一九八一年の夏と秋にシカゴ大学の社会学部と社会思想委員会に招かれ、研究のための滞在中に書き始めた。この研修滞在は一九〇九年から一九三四年までのドイツの初期社会学の始めと終わりに関する私の研究と関係していた。私はユーバンクの資料についてご教示いただいたジョン・E・クライグ教授(John E.Craig, シカゴ大学の比較教育センター)、デヴィッド・リンデンフェルド教授(David Lindenfeld, ルイジアナ州立大学歴史学部、バトン・ルージュ)、特にエドワード・A・シルズ教授(Edward A.Shils, シカゴ大学社会思想委員会)に謝意を申し上げる。ユーバンク文書を解説した独語版は一九八五年に出版された。
 [本書の]英語版は独語版からの単なる翻訳ではない。一九八六年三月、私はシンシナティ大学の社会学部と教育財団から招かれ、ユーバンクの旅行についての講義を行った。私は若干の資料をシンシナティ大学のブレゲン図書館のアーカイヴズと稀覯書部門にあるユーバンク文書のなかに発見した。その資料はシカゴ大学図書館の特別コレクション部門に保管されているユーバンク文書にはなかった。そのため、ユーバンクが訪問したアレキサンダー・ファーカーソン Alexander Farquharson, エリーザベト・ヘッカー Elisabeth Hecker, フローリアン・ズナニエ
 私は、この翻訳の初稿を準備したペトラ・アールヴェイラー Petra Ahrweiler に謝意を申し上げる。彼女は長い間ハンブルク大学で私の入門コースのティーチング・アシスタントである。英語版の最終稿は一九八九年八月から一九九〇年一月にかけて作成された。その時、私はセント・ピータースブルグにあるサウスフロリダ大学の文化・社会の学際研究センター所長のステファン・P・ターナー教授 Prof.Stephen P.Turner に招かれ、そこでサバティカルの半年間を過ごした。私はこの期間中、私の研究を支えてくれたドイツ学術振興会に再び謝意を申し上げる。同じく、私は「アメリカでのサバティカルのプロジェクトのための学部助成金」を承認して頂いたアメリカ合衆国のドイツ・マーシャル財団に謝意を申し上げる。
 私は本書を私の妻に捧げる。私の妻はシカゴでユーバンクに熱中していた時期に耐えてくれたばかりでなく、それが終わる頃には彼女さえもユーバンクの夢でうなされ始めた。しかし彼女は私と一緒にドタバタしながら、ついにこの英語版を完成させてくれた。
ディルク・ケスラー    謝 意
 私はシカゴのユーバンク文書とベルナード文書が保管されているシカゴ大学図書館の特別コレクション部のロバート・ローゼンタール博士 Dr.Robert Rosenthal, マイケル・T・ライアン博士 Dr.Michael T.Ryan, ベティ・ビショプ Betsy Bishop の助力に感謝を申し上げたい。私はまた、シンシナティのユーバンク文書が保管されているシンシナティ大学のアーカイヴズとブレゲン図書館の稀覯書部門のケヴィン・グレースの助力に感謝を申し上げたい。私がこのような形で出版することを親切にも許可してくれた人々と機関に感謝申し上げたい。
 この仕事にたいしてライレ・ユーバンク・バートレット博士 Dr.Laile Eubank Bartlett(バークレイ)、ルイス・ユーバンク・エジャーロッド Lois Eubank Egerod(コペンハーゲン)、ローリー・ユーバンク・アンガーソン Lauriel Eubank Anderson(バークレイ)から熱心な関心と支持を寄せられ、著書という形式で出版することが許された。私は彼らに感謝申し上げたい。
 私はシカゴ大学の社会学部と社会思想委員会の支援に感謝を申し上げる。私は招待され、一九八一年の夏と秋に研究のためにそこに滞在した。一九八六年三月、私はシンシナティ大学に招かれ、ユーバンクをテーマにして講義を行った。私はそれを可能にしたシンシナティ大学の社会学部と教育基金部局に感謝を申し上げたい。さらに、私は一九八九年八月から一九九〇年一月にセント・ピーターズバークにあるサウスフロリダ大学に招待され、六ヶ月のサバティカルを過ごした。私は同大学の文化と社会の学際研究センターに感謝を申し上げる。
 私は、これらの旅行と滞在を可能にしてくれたルードウィヒ?マクシミリアーン?ミュンヘン大学、ハンブルク大学、ドイツ学術振興会、アメリカのドイツ・マーシャル財団の援助に心から感謝を申し上げる。
 私の友人シュテファン・P・ターナー Stephen P.Turner の利他的で忍耐強い援助がなかったならば、本書は日の目を見なかったであろう。

 
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