|はじめに|

 この本を書く過程で幾度となく自問自答してみた。「道徳という言葉を簡単に割り切って捉えすぎていないか」「道徳というものは社会にとって本質的な、そもそも言語化しにくい領域であるから、もっと慎重でなければいけないのではないか」「ルーマン社会学のドライな社会観、人間観に引っ張られてはいないか」等々。しかし何度そう問い返してみても、結局は同じ結論に戻ってくる。道徳に現代を託すことはむずかしい。そして次第にその確信は強固なものとなっていった。

 途中省略

 遺伝子操作や環境問題、グローバル化などの、まったく新しい問題群と直面せざるをえないわれわれが目指すべきことは、近代の成果を基礎にしたうえでの近代批判であり、解決困難な問題を「前近代」に投げ込んで宗教や共同体に回帰したり、「心」や「人間性」などの、それ自身が近代精神の産物であるような実体化された言葉の操作で誤魔化したりすることではないはずである。現代のような時代であるからこそ、道徳に可能なこととそうでないこととの区別を明確にし、道徳という概念が引きずっている枷から社会と人間を解き放つことが求められねばならない。これはまた、現代社会の中で道徳の場所をそれにふさわしい形で確保することでもある。
 本書ではこのような理論的営みを、デュルケームからユルゲン・ハバーマスとニクラス・ルーマンへという方向を念頭に置いたうえで幾つかの角度から考察し、道徳の持つ可能性について検討を加えたい。

 
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