|はじめに|

 本書は、わが国において学問運動としての社会学がどのようにして形成・展開されてきたのか、をわたしなりに一学究として改めて振り返りつつ再考察してみようと試みたものである。学問としての社会学も根本的には人間と社会や歴史との関係、人間の生き方を問う営みであるとすれば、行ける路、このままの途、行くべき路も歩んで来た道をも行きつ戻りつ、その歩みや営みを自らが検証し踏みしめていくしかないのではなかろうか。「イギリス人は歩きながら考える。フランス人は考えた後で走り出す。そしてスペイン人は、走ってしまった後で考える」という言葉を引用して、「それでは、……我々日本人は一体どういうことになるだろう」といったのは、笠 信太郎であったが、近代日本の社会学の歩み、社会学の経験と思想を問い直してみることも重要な課題であると考える。
 近代日本社会学史研究は、社会思想・社会学思想、社会学説・理論的パースペクティブ、社会観察・社会調査、個別専門領域・分野、学問活動の組織化・制度化、個々人の学問研究などの諸側面から、それぞれに、あるいは相互に時間的に空間的な展望のもとで検討していくことが可能である。本書では、特に学問運動・活動としての社会学を支えていった学会や研究組織に焦点をあてて近代日本の社会学の歩みを再検討しようとしたものである。従来の日本での社会学史研究の多くは社会学思想や理論的パースペクティブ、個々の社会学者らに関する研究が主で、学問活動や研究を基本的に支え枠づけ、ゲートキーパーとしての研究・教育組織や学会活動に焦点をあてた研究はほとんどといってよいほどなかったといえる。その意味では、本書は、学問運動・活動の組織化・制度化の視座からの、未だ十分に解明されたものではないが、一つの問題提起・問題発見の試みである。近代日本の社会学の学会活動は、大きく明治期の「社会学会」「社会学研究会」の動き、主に大正期の「日本社会学院」、大正末から今日まで連なる「日本社会学会」の動きに分けられる。本書では、「補論」を別にすれば、明治期から一九四五年の第二次世界大戦終戦までの動きを扱っている。
 本書に収められている論文の最初のもの(「第七章「日本社会学会」の設立とその後の経緯」)は、一九八八年のものであるから、本書の出版までに一四、五年が経過していることになる。その間に、わたし自身の問題意識や関心が少しずつ揺れ動いたりしているが、学問運動・活動の制度化をめぐって今日まで基本的には背後に三つの関心や仮説があると考える。一つは近代日本の社会学運動・活動の制度化をめぐる一元化・硬直化・分極化と多元化・創造的動態化・複合融合化への関心や仮説である。学問運動・活動における経験や思想との関連でみると、多元化・創造的動態化・複合融合化への動きよりも、むしろ国家主義的な一元化・統制、活動の硬直化、人々の生活からの分極化・「文明」の分極化へ結果的には傾斜していくことになったのではないか。
 二つには、その制度化を支える専門家集団の自律化と他律化に関することである。最初の関心・仮説とも関連して、明治期以降当初より専門家集団の形成が自立・自律というよりも、国家誘導的であり他律的であり、一時的には自立的・自律的であろうとする動きもあったが、戦前・戦中期には他律的傾向を一層強めていったのではないか。
 三つには、制度化を担う専門化集団の育成・養成をめぐる閉鎖化と開放化の動きについての関心・仮説である。現在の日本社会学会の会員数は約三、四〇〇人前後であると思うが、戦前では三〇〇から五〇〇人ないし六〇〇人前後であったのに較べるとその活況ぶりを知ることができる。戦前期には、専門家集団の養成は、国家主義的な要請と動員体制もあって一部の私大を除けばほとんどが東京帝大を中心とした帝国大学を軸としたもので、閉鎖化の傾向が強かったのではないか。
 今日では産・官・学、社・学や国・地方などの(自主的な)共同・協同活動の推進、規制緩和、さまざまな領域でのバリア・フリー、globalization と glocalization などが強く求められ進められるようになり、歴史的にも避けられない大きな動きといえるだろう。他方でまた、近代日本の社会学の歩みに照らせば、「学問の独立」という重大な課題も消してはならないだろう。それは、「学問の独立」を一面では見失いかけていった歩みだからである。経済も政治も外交も、そして学問も「人間交際」のためのものなりとする福澤諭吉の『学問のすすめ』における「独立自尊」や「実学」の発想、教育の「発育」という着想とともに、「学問の独立」論(一八八三年(明治一六年))に、もう一度耳を傾けることも必要なのではなかろうか。「政治家は病にあたりて治療に力を用い、学者は平生の摂生法を授くる者の如し。」「駆引は日夜臨機応変にして政略上にもっとも大切なる部分ならば、政治家の常に怠るべからず事なれども、学問は一日一夜の学問に非ず、容易に変易すべからざるなり。」
 本書の構成は、近代日本の社会学の歩みを、一、草創・生成期(明治初年―明治三〇年代)、二、形成期(明治四〇年代―大正七年頃)、三、成立・確立期(大正八年頃―昭和七年)、四、変転期(昭和八年―昭和二〇年終戦)に分けるとすると、目次のように序論は本書の問題構成にあたるもの、第一章から第三章は一の草創・生成期に位置づけられ、第四章から第六章が形成期、第七章から第八章が成立・確立期、第九章は変転期に位置づけられるものである。終章は本書の一応のまとめと結論づけが試みられている。補論の「日本社会学の最近の動向と反省」は、もともとは一九八八年に交換教授として韓国延世大学に滞在していた折にお話したりまとめたものに新たに手を加えたもので、終戦時から今日までの日本社会学会の動きに関するものである。
 この書がこうして出版されるようになるまでに多くの人たちや組織に支えられてきたお陰であり、ここに記して感謝したい。慶應義塾大学の慶應義塾学事振興資金による研究助成や福澤研究センターの研究助成を幾度も受ける機会に恵まれたし、文部省の科研費の助成も得られた。また、この度は慶應大学法学会による出版助成も受けることになり深謝したい。学部の時に初めて出会って以来不肖の弟子を忍耐して導いてくださった、いまは亡き恩師の米山桂三先生、学部や大学院で教わった亡き有賀喜左衛門、武田良三、佐原六郎、青沼吉松、中井信彦の諸先生、生田正輝・十時厳周・横山寧夫・矢崎武夫、石坂 巌、関本昌秀の諸先生、長年の学友でもある原田勝弘さん、佐藤茂子さん、小松隆二さん、中川 清さん、坂井達朗さん、レギネ・マティアスさん、鶴木 真さん、日本社会学史学会の秋元律郎・河村 望・富永健一・新 睦人・船津 衛・中 久郎の諸先生、わたしが直接に所属している慶應義塾大学法学部の同僚の諸兄諸姉、なかでも社会学関係の霜野寿亮・関根政美・有末 賢・大石 裕の諸氏、三田社会学会の関係者や大学院や学部のゼミの卒業生・学生さんにも、心より感謝を申し上げたい。今回出版を引き受けて下さった出版社 恒星社厚生閣、そして直接編集にあたって下さる片岡一成氏、また出版社への仲介の労をとって下さった現東洋大学教授の船津 衛先生にもお礼を申し上げたい。
 「何もの」かもよく分からないわたしを辛抱強く育て応援してくれた亡き父母、父善五郎・母この、そして妻静子の両親、いま懸命に生きておられる父高橋龍作、亡き母きん、にも記して感謝したい。この書を長い間日々支え励ましてくれた妻静子に、恥かしながら、さりげなく捧げたいと思う。
  二〇〇二年九月  横浜にて。

 
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