|はじめに|

 いよいよ二一世紀がスタートした。この新しい世紀は、しかし、希望というよりも混迷の時代といわれる。政治の領域、経済の領域、社会の領域、文化の領域において、そして国際的にも多くの問題が頻発し、急激な変容が生じ、しかも、そのゆくえがあまりはっきりしていない。そこでは、これまでの思考の枠組みや行為の様式が適用不可能となり、その有効性を失い、問題に適切に対処できない事態が生まれてきている。
 社会学もまた例外ではない。いなむしろ、社会学は現代社会の急速な変動によって生じた問題を解明するのにあまり役に立たず、社会的要請に何ら応えることができないとさえいわれている。そこから、社会学への期待が次第に薄れ、失望が広がり、それ自体の存在価値も問われてきている。このような状況において社会学は今後どうあるべきなのだろうか。
 本書はアメリカ社会学について、最近の動向をフォローし、その最前線の状況を解明しようとするものである。二〇世紀、とりわけその後半においては社会学はなんといってもアメリカ社会学一色であった。しかし、そのアメリカ社会学は、現在、ヨーロッパ社会学に比べて、やや影が薄くなっている感がある。経済のグローバル化は世界を単一の方向に向かわせ、アメリカの世界支配という「アメリカ化」を押し進めるとされているが、社会学に関しては少し事情が異なっているようである。アメリカ社会学はそれまで持っていた影響力を次第に失いつつあるといわれる。
 したがって、本書は、アメリカ社会学のこれまで研究の単なる延長・発展を願うのではなく、既存の理論や方法を再検討し、再解釈し、新しい社会学のイメージを定立しようとしている。すべての執筆者が従来のアメリカ社会学のあり方を振り返り、再考し、既存のイメージを修正し、変更し、再構成しようとしている。そして、アメリカ社会学のあり方を究明するなかで、自己のオリジナルな見解を積極的に展開して、二一世紀に向けて新しい社会学の展望を切り開いていこうとしている。
 もちろん、アメリカ社会学といっても決して一枚岩ではない。本書においては機能主義社会学、現象学的社会学、シンボリック相互作用(相互行為)論、エスノメソドロジー、合理的選択理論の、それぞれのパースペクティブから検討が行われている。そしてまた、執筆者の間に完全なコンセンサスが存在しているわけではなく、むしろ、スタイルも内容も多様であり、直接的、間接的に相互批判も活発になされている。
 けれどもまた、その底流には共通した問題意識を明確に見いだすことができる。なによりも、すべての執筆者が社会学がこれまで取り扱ったきたテーマや概念を内在的に検討し、その限界を指摘し、新たに構成しようとしている。そしてまた、個人と社会、主観と客観、ミクロとマクロという分析枠組み、そして研究者 ― 対象者の関係のあり方を再考して、これからの方策を明示している。
 本書に寄稿されたのは、現在、わが国の社会学界において第一線で活躍している中堅ないしは若手の社会学者である。それぞれ分野において、既にリーダー的役割を果たしておられ、その活動が注目されている研究者たちである。したがって、執筆に際しては特に枠や限定を設けず、自由に論じて下さるようにお願いした。それぞれの論考は個性的であり、オリジナリティに富み、各人の顔が見えるものとなっている。全体としてアメリカ社会学、さらには社会学そのものの二一世紀の課題が具体的に提示されている。各論考において新たな見解が積極的に披露され、読むものをわくわくさせるものとなっている。本書によって、多くの議論が巻き起こされるものと確信している。
(以下略)


二〇〇一年二月 梅の花が咲く
船 津  衛

 
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