|はじめに|
 地方都市は随分以前から私の関心の対象であった.学問的関心ということを別にすれば,子供の頃を過ごした所が人口 1 万程度の町であったこともあり,成人となりその町を離れて大都市での生活を始めてからもずっと小さな町や地方都市に対する関心は私の心のなかにあった.小さな町や地方の小都市には良い面もあるが悪しきところもある.小さな町や小都市の雰囲気がどのようなものかは良さも悪さも含めて私には理解できていた.しかし小さな町や地方都市を研究の対象として観ていたわけではない.
 研究らしいことを始めるようになってから地方都市を研究調査の対象とする機会に恵まれたが,その当時は生活の拠点が大都市にあったこともあり地方都市をじっくり調査の対象とするとことのできない状態にあった.地方都市を研究の対象としてみたいと思い始めたのは 1981 年の半年間,アメリカの町での生活を経験してからのことである.それは,その頃勤務していた大学(関東学院大学)の好意により実現したもので,短い期間ではあったが,アメリカはオレゴン州のマクミンビル(McMinnville)という町での生活は,私の地方都市に対する関心を刺激した.そこで私が実感したのは,ここ(小さな田舎町)ではアメリカ人が見えるということであった.そうした体験が私の地方都市への関心を助長する一因となった.日本人と日本の社会構造は,いまなお,何よりも地方都市の観察からなされるのではないか.そう思えたのである.関東学院大学と神奈川・横浜でつくりあげていた素晴らしい人々との交流から一歩距離をおき,地方都市の生活を始めるということには抵抗もあったが,事情があって,私は山形大学における勤務を決意した.そして山形大学での勤務は私の地方都市の研究を促した.
 わが国の場合,大学が多く大都市圏に立地していることもあって,また大都市圏が解決を要する多くの問題を抱えていることもあって,社会学わけても都市社会学の研究者の関心は多く大都市に向けられている.そのような情勢であれば一層,細々とたった一人地方都市の研究を行なうのもよいことではないか.そうしたことが私の地方都市への関心を助長するもうひとつの動機となった.本書には私が山形大学に勤務した間に山形県下で実施した調査を収録した.この間,ここに収録した他にも大小を含めて多くの調査を経験しているのでここに収められているのはその一部である.
 ここに収録された報告は,大方,統計的調査(倉沢 進のいう標準化調査)として実施された調査の結果である.統計的調査は,趨勢の把握には有効だがどこまで深い詰めができるかという点に難点がある.そう言われてきたし,事実そうであろうと思う.このような「単純」な作業を何年も続けていて飽きませんかという人もいる.飽きないから続けているのだということもできるが,その通り飽きがきていますというのも正直な気持ちである.この場合,「単純」という言葉には二つの意味がある.ひとつは理論的作業からはおよそ縁遠いという意味であり,二つは調査の手法や技術が幼稚だという意味である.反省を込めてどちらについてもそうだと思う.そのことは中範囲理論(Merton, R.K., Social Theory and Social Structure,森 東吾・森 好夫・金沢 実・中島竜太郎訳『社会理論と社会構造』みすず書房)の同調者である私自身がよく理解するところであるし,また見田宗介の提唱する多段分析法(見田宗介「数量的データと質的なデータ」,『現代日本の精神構造』弘文堂,第 3 部,社会心理学的分析の方法)に教えられている一人として,この種の統計的調査では,すべて,あるいは決定的なところを語れないということを承知する.統計的調査の限界は質的データ(質的データ獲得に優れた調査)により補完され,必要に応じ,再度,統計的調査により確認するという手続きが必要である.それにもかかわらず,すなわち質的データによる補足や確認がないという不備を自覚しつつ敢えて本書の刊行に踏み切ったのは,ただ,このあたりで研究にひとつの区切りをつけ,質的データを中心とした研究に重点を移したいという思いがあるためであった.
 それにしても意識調査には限界がある.意識調査はどこまでやっても意識調査の域を出ない.仮に,より洗練された調査技術を駆使したとしてもである.このような調査を続けて飽きがきませんかという問いかけには,実はもうひとつ,三つ目の,ある種の冷ややかさを感じさせる意図が込められている.意識調査は所詮意識調査の域を出ないのではないかという問いがそれである.しかしこの点については,先の 2 点とは異なり,少しく反論が必要である.確かに意識調査はどこまでやっても意識調査である.それでもなお「意識」の調査にかかわるのはなぜか.それは調査者が何を意図してその調査を企画・実施しているかということに関連する.私の場合について言えば「事態のより良き改善」とそれへ向けての「問題の提起」がそれである.われわれは日本が民主主義の国家だと信じている.憲法はそうなっているし制度もできている.しかし,現在の日本がどこまで民主的な国家なのかと問われれば自信がない.昨今における日本の状況をみて,なお,現在の日本を民主国家として完成度の高い国だと主張することのできる人は少ない.私は自信をもってそう主張することができない.意識調査の効用は複数であると思うけれども,私が「意識」の「調査」にかかわるのは,意識調査が「事態のより良き改善」とそれへ向けて「問題の提起」に一定の機能を果たすことができると考えるためである.
 その点に関して,私はこれまで,ダニエル・ラーナー(Lerner, D.)に教えらてきた.些か長い引用になるが,以下,ラーナーの教えを記しておくことにしよう.「ひとつの社会がどのように機能しているかということは,エリートか大衆か,つまり統治者か被統治者かのどちらかに意見を聞くことによって調べることができる.この両者が解明のもとになるものであるが,しかし,そのいずれをとるかによって全く相異なった二つの型の社会探査が生まれ,その結果は概念,方法,効用の違いとなる.この二つの型の対照的な違いは,近代的独裁に比較した場合の民主主義的社会の調査の伝統にはっきり示されている.全体主義的見解は亡きデンマークの社会学者スペンド・ラナルフによって『客観性に対するヒットラーの闘争』という注目すべき小冊子のなかで明瞭にされている.ナチズムは客観的知識と衝突するものであったが,今世紀のすべての革命的独裁にはそれと平行するものがあった.勿論,最も顕著な事例はドイツにおけるマルキシズムの哲学的遺産から,ソビエト・ロシアが入念に造り上げた体系である.自然科学(例えば,核物質に高エネルギー加速を生み出させる科学)は思いのままに研究されている反面,ロシアの社会科学は囚人用拘束着を纏わせられてきた.ソビエト国家「公認」の社会学 ―― 即ち,マルキシズムから派生した包括的イデオロギー ―― は存在する.しかし経験的社会学は存在しない.社会調査は現実を直接に観察し客観的に記録することを要求するものであり,当然,一切のイデオロギーの敵である.イデオロギーは望ましき未来 ―― 世界がどんな状態に置かれなければならないか ―― を規定する.調査は実際の現在 ―― 事実,物事が現実にある状態 ―― を記述する.社会についての不断に変化する事実を現してみせる調査は,究極的には,イデオロギーの固定的な教条を,必然的にその基礎からつき崩すことになる.したがって公認のイデオロギーを防衛しなければならぬソビエトの国家では社会調査を放逐し,それに変わって煽伝 ―― 煽動と宣伝 ―― を持ち込んだ」(ダニエル・ラーナー,鈴木二郎・宇野健吾他訳『社会科学入門』社会思想社,26〜28 頁).この文章はナチスドイツのことソビエトのこと,過去のこととして読まれてはならない.民主主義の敵はわれわれの現在の国家にも存在する.
 本書の刊行に際しては多くの方々の支援があった.研究会にお誘い戴き調査の機会を与えて戴いた鈴木 広先生(九州大学名誉教授)と高橋勇悦先生(前東京都立大学教授・大妻女子大学教授),本書の刊行を再三お勧め戴いた越智 昇先生(横浜市立大学名誉教授)には深く感謝したいと思う.なお,私は,この機会を借りて,小林照夫(関東学院大学教授,歴史学),葛西大和(山形大学教授,地理学),吉原直樹(東北大学教授,社会学),小浜ふみ子(愛知大学助教授,社会学)の諸氏にも感謝の気持をお伝えしたいと思う.4 人の優れた研究者との公私にわたる交流は私の研究生活を多少なりとも勤勉なものにさせ,生活を潤いのあるものにさせている.特に葛西大和さんには研究室を隣にして教えられるところが多い.資質に恵まれた人が流行に背を向け,決して恵まれているとはいえない研究条件のなかで,はたして一代で成し遂げることができるかどうかという高い山登りに黙々として挑戦している姿が,怠惰な私をして調査を続けさせてる.
(以下省略)
     平成 13 年 2 月
内藤辰美
 
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