|あとがき|
 本書は、R・K・マートン、W・E・B・デュボイス、H・S・ベッカーという三人のアメリカ社会学者の研究と、黒人社会学者たちの諸説を展開したものである。半分近くをマートンに関する章が占めたものとなっている。その意味では、マートン単独の書物とした方がよかったのではないかという感想をもたれる方も多いかと思う。しかし、それを敢えてせずにデュボイスとベッカーの二人の研究、「黒人社会学」の研究を加えた理由は、マートンの社会学理論を考察するだけでなく、社会学研究や学問につきものであるアンビバランスな性格に対しても、焦点を向けたかったからである。
 ここでの三人はそれぞれ違うアンビバランスの性格をもっており、彼らは、それを彼ら固有の社会学として発展させたのである。第一章でも触れたが、アンビバランスな社会学には、変化に対して前向きな「変化」型と、後ろ向きの「不変化」型が考えられるが、ここでの三人はいずれも「変化」型の立場をとっている(本書一七頁の図2)。それから地位の軸でみると、マートンとデュボイスは、ともに程度の差はあれ、彼らのアンビバランスな姿勢が彼らの出自に起因しているとみることができる。これに対してベッカーの場合は、職業選択と大学での思想形成過程で、アンビバレントな態度が身に付いたといった方がよいであろう。つまり、彼らは、程度は異にしても、いずれもがリベラルな思想の持ち主であった。そうしたアンビバランス的な視座を使って、独自の社会学の領域を切り開いたということができる。
 ところで、マートンは、いうまでもなく現在の社会学を代表する構造 = 機能主義の社会学者である。彼の研究は、これまで「中範囲理論」とか、「科学社会学」とか、「アノミー論」とか、それぞれ単独に研究されることが多かった。いまや、彼の社会学を紹介する解説書など(クロザーズ『マートンの社会学』((世界思想社))等)も多少増えてきたが、そうしたものには、一貫して機能分析の理論的側面を強調してきたものが多かったように思う。
 彼の主張した「機能分析」の方法、「科学社会学」、「中範囲理論」、そして「予言の自己成就論」や「アノミー論」など彼の足跡はそのまま実証主義的社会学の一面を構成するものであった。けれども、彼の思想性のなかから、全体的な連関を求めるような研究はまだ少ないといってよい。ここで扱っているマートン論は、「変化」と「アンビバランス」に着目したものである。そして、それを通して彼の社会学の生成と変化、更にはその全体像に迫ったものである。
 実際、彼の社会学が大不況期のなかで育ち、マクロな視点を要請されていた時期に、調査と理論という中範囲理論を志向し、かつ構造 = 機能主義者でありながらマルクス主義への造詣の深さをみると、そこには彼自身のアンビバランスな態度の反映があったのではないかと思われる。マートンが最後に求めていったものは、科学の世界であった。彼の「科学社会学」は、そのことをよく示している。
 デュボイスは、それに対して生前、社会学者としての業績で評価されることはなく、「忘れられた社会学者」と呼ばれた学者であるが、初期のアメリカ社会学の確立期にみずから黒人のための社会学を構想し、学派形成を試みるが、白人社会学の壁は厚く、結果的には差別の解放という社会運動の実践家になっていった。『フィラデルフィアの黒人』のような優れたモノグラフ調査をしていながら、その業績については一九七〇年代初頭になるまで殆ど評価されずにきた。彼は「差別」のゆえに、初期の社会学者の業績のなかで無視されたが、同じ黒人解放家のブッカー・T・ワシントンとの論争などを通じて、次第に急進的な改革の運動家となっていった。彼が「黒人社会学」者として評価を勝ち得るのは、彼の死後の、一九六〇年代後半になってからであった。
 ベッカーは、シカゴ学派のなかで、実践を重視した社会学者として出発した。ヒューズという、シカゴ学派のなかでもややマクロな傾向を強くもった社会学者を師にもったことも起因したのかもしれないが、ベッカーは、実践を重視する社会学者であった。その象徴的な書物が、『アウトサイダーズ』である。ベッカーは、この書で、逸脱者の形成過程を従来の視点から逆転して、相互作用過程における「他者」にその逸脱発生の契機を求めた。つまり、ラベリングする方に逸脱の原因があるという見方である。ラベリング論という呼び方は、そこに由来する。だが、ベッカーのアンビバランス性は、理論と実践で揺れ動いてきた。本書で紹介した「負け犬的視座」のように弱者側への配慮を徹底して追求する視点にそうした姿がよく現れている。ただ彼は、キッセのように、ラベリング論から構築主義の社会問題論へと理論を展開することなく、ラベリング論への反論なかでシンボリック相互作用論へと戻っていった。彼なりの社会学の実践に踏みとどまってしまったのである。
 しかし、同じアンビバランス性といっても、三者の姿勢はかなり違っている。マートンの中範囲理論の追求、デュボイスのラディカルな「黒人社会学」の追求と解放運動、ベッカーの調査方法論やラベリング論、そのなかで主張された「負け犬的な視座」がそれを如実に示している。これら三者には、理論的対立の構図もあった。ベッカーとマートンの間には方法論的には、マートンがアウトサイダー教義の側の推奨者であったし、ベッカーはインサイダー教義の側の推奨者であった。デュボイスはみずからの黒人性に依拠して、インサイダー教義の社会学を構築しようとした。以上、三人の社会学者は、アンビバランスな点において、それぞれ独自な側面をもっているだけではない。マートンは現在のコロンビア大学の研究スタイルに決定的な影響を与えた社会学者であり、ベッカーは、G・H・ミード、パークに源流をもつシカゴ学派のパラダイムでみると、正統派の流れから多少ずれているかもしれないが、有力な後継者の一人であることには違いない。その意味では、二人を扱うことは、アメリカ社会学の二大社会学派の抱える問題にも肉薄できたわけである。そして、「黒人社会学」は、それらとは全く違った水脈のパラダイムに位置づけることができる。マートンによるベッカーたちのラベリング論への批判やインサイダー教義への批判は、いずれも両者が主観主義の視座に根ざす点で共通しているのである。ベッカーは、「黒人社会学」の準拠するインサイダーの視点を「負け犬的な視座」によって擁護したのである。しかし彼らには共通点も認められる。
 彼らに共通している性格は、人文主義的傾向を強くもっていたことである。詩や歴史といったものを好み、しばしば詩人や歴史上の人物を引用する。そして、マートンの『巨人の肩に乗って』、デュボイスの『黒人の魂』、ベッカーの『芸術世界』などは、そうした側面を如実に示しているといえる。こうしてみるとアンビバランスな社会学者は、社会現象に対して研ぎ澄まされた「感性」をもち、既存のパラダイムに囚われることなく、新しい解釈をおこない、新たな対象へと踏み込む十字軍的な「改革」家の道をとるということである。
 私が、本書を通していいたかったことは、ミルズ流にいえば社会学的想像力の構築には、「アンビバランスな立場の要請が必要である」ということに尽きるであろう。デュボイスが社会学者として活躍したのは、一九世紀の末から二〇世紀の二〇年代までであり、マートンが活躍したのは一九三〇年代から一九七〇年代までといってよい。ベッカーは、一九五〇年代から現在も活躍している。長寿を全うしたデュボイス、九〇歳を越えても、いまだに現役で論文を書いているマートン、そしてノースウエスターン大学退職後も、あちこちの大学で若手の社会学研究者の教育とみずからの文化社会学的研究に余念のないベッカー。その点では本書は、結果的に現代のアメリカ社会学のかなりをカバーできていると思う。彼らは、アンビバランスの度合を強くもちながら、それぞれが結局は、実証主義、ラディカリズム、ロマン主義の志向へと向かっていった。
 ところで、この本のなかで、わが国の「まれびと」信仰のごとき輸入学問的な横行を批判したが、この本は、その種のものとは性格を異にしていると考える。輸入学が流行する理由には、結局、わが国の社会科学に、独自の「評価方法」が確立していないからだと思う。私は、科学の文化の発達には、特殊性の追求と普遍性の追求を跨ぐ、ぎりぎりの保塁に留まることが欠かせないし、そこに固有な「独創性」の境地があると考えている。その面では、学問研究とは、孤独で、アンビバランスがつきものであるというのが私の主張したかった点である。
 それから、本書は、昨年、ラベリング差別論の角度からまとめた『高齢者ラベリングの社会学』の理論編の意味ももっている。前著は、ラベリング差別論から高齢者差別を実証的に考察したものであったが、本書は、差別論や方法論に関心をもちながら、三人のアメリカの社会学者を理論的・学説的にまとめてきた書となっている。しかも、私自身の理論と実証の交互的な研究過程でまとめてきたものを集めているので収録された論文の時間的なズレはかなり長い。ただ、今回、それらを収録して、再構成するにあたり、それらが決して新鮮味のないものとは考えていない。むしろ、近年の社会学の動向が、時流に流され、「誰のための社会学か」を問いかける必要性を感じるにつけ、こうした一九三〇年代から一九七〇年代までの社会学的所産の理論的背景やパラダイムを、方法的態度の視点から見直すことは必要だと思われる。
 いま私たちの住む日本社会は、大きな過渡期に立たされている。恐らく明治維新後でいうと、維新期と第二次世界大戦後の時期に比しても見劣りすることのないほどの変革期だと思う。今後、高齢化、情報化、国際化、少子化のなかで、地方分権化や福祉社会化やグローバル化などが加速していくと思われる。私の勤める大学でもいま行政独立法人化の話が持ち切りで、組織や研究体制など慌ただしく変化が進んでいる。この新体制への移行がはたして妥当なものかは、いまのところは明確な方向が見えないが、グローバル化の方向で決着をみるのは明白であろう。ただ、いま進んでいる変化が日本文化を衰退させるものであることを、多くの人たちは、あまり自覚していないように思う。いまやアメリカ文化の浸透なのである。私なども、その間にあってアンビバランスな態度に立たされることが多い。国際化のなかで日本文化をバランスよく保つことが必要で、とかく一方に加担する傾向のある日本人の傾向をきわめて危険なのである。バランスを保ちながら、独自性を維持していくことが大切で、本書がそうしたアンビバランスな時代のわれわれの進むべき道に示唆を与えることができれば幸甚である。
 最後に、本書の内容となる論考を書いた時期を示すと、以下のようになっている。
 第一章は、今回書き下ろし原稿
 第二章は、「マートンの方法的態度の展開 ―― 中範囲理論の成立との関連において」(『社会学研究年報』(九州大学社会学会)第五号、一九七四年五月、六二〜七〇頁)を大幅に加筆訂正したものである。
 第三章は、「初期マートン社会学の展開」(『社会学研究年報』(九州大学社会学会)第七・八号、一九七六年三月、一二三〜一三九頁)を原形のまま載録してある。
 第四章は、「科学社会学と自己例証モデル ―― マートン科学社会学の一考察」(『鹿児島女子短期大学紀要』第一四号、一九七九年、九三〜一〇九頁)を加筆訂正したものである。
 第五章は今回書き下ろし原稿。
 第六章は、「マートンの逸脱と差別の社会学:「社会問題」論覚書」(『社会学研究年報』(九州大学社会学会)第一〇・一一合併号、一九八〇年、一〜一一頁)に大幅に加筆したものである。
 第七章は、「W・E・B・デュボアの社会学と都市研究:デュボア社会学の意義について」(『社会分析』(社会分析学会)一九九二年一〇月、二一〜四四頁)をそのまま載せている。
 第八章と補論は、「黒人社会学の展開とインサイダー教義の問題」(『山口大学教養部紀要』第二八号、一九九五年三月、七三〜一〇一頁)を加筆訂正して載せている。
 第九章は、今回書き下ろし原稿。
 第十章は、今回書き下ろし原稿。
 第一章、第五章、第九章、第十章は、構想として温めつつ、断片的に書いてはいたが、今回、急遽まとめたものであるので、少し舌足らずの感は否めないように思う。それ以外は、別々に書いた論文が元になっている。
(以下省略)
二〇〇一年一月
辻 正二
 
ウィンドウを閉じる