|監訳者序文|
 本書はFloyd Hunter, Community Power Structure, A Study of Decision Makersの全訳である。もともと1953年にノースカロライナ州立大学出版会から刊行されたが、のち1963年にアンカー・ブックスの1冊として出ている。今回テキストとして使ったのは後者の方で、出版社はダブルデイ社である。
 著者のハンターはシカゴ大学に学び、社会学・人類学の博士号を、ノース・カロライナ州立大学で得ている。都市問題を専門とする社会学者として、彼は多くの都市のコミュニティ・オーガニゼーションと社会科学を教えた。
 ハンターの他の著作としては、Top Leadership, U. S. A. やCommunity Organization: Action and Inaction(共著)がある。その後、カリフォルニア州バークレイで、フロイド・ハンター社という、都市社会学のほうでは非常によく知られた本である。
 CPS論争の一方の立場である「声価法」を代表するもので、他方の「争点法」との間に、驚くべきスケールの議論が長期にわたって交わされたことは、中村八朗氏の詳細な研究(「都市の権力構造−アメリカにおける研究動向―」『社会科学ジャーナル』第2号、183-240頁、国際基督教大学刊、1961)、あるいは中村氏訳による、P. H. ロッシの論文「地域社会の政策決定」(私の編『都市の社会学』誠信書房刊、所収)で紹介されている。ちょうど、大衆社会論におけるC・ライト・ミルズの古典的名著『パワー・エイリート』の位置に対応する。都市論の作品である。今なお迫力に満ち、読み応えのある力作である。そのミルズが本書をこう評価している。
  フロイド・ハンターは気質的にごまかしのできないにんげんのようだ……。いい加減なことを書いて自分を欺いたりしない、まっすぐな研究者である。彼は1つの重要なテーマについて、仕事師の作品といえるものをつくり出したのだ。
 筆者は大学院生の頃(1955年頃)、「釜石調査」という企業城下町の調査プロジェクトに従事したが、大体同じ頃にハンターが、よく似たテーマに取り組んでいたのは、実に不思議な気がする。本書で考察されているリージョン市とは、1966年オリンピックが開催されたジョージア州アトランタ市の仮名である。アトランタは典型的な企業都市で、とくにコカ・コーラ社発祥の地であり、本書の「政策決定者」の中に、コカ・コーラ社の社長もHomerの仮名で入っている。数年前、私も訪れたが、アメリカ南部の中心都市で、いろいろと興味ぶかい町だった。
 『風と共に去りぬ』のマーガレット・ミッチェルの町、南北戦争さいごの、文字通り天下分け目の決戦場、暗殺されたマーチン・ルーサー・キングjr. 記念館のある町、カーター大統領の出身地、世界一の巨大空港の町、ほぼ黒人だけの大学院大学アトランタ大学の町、ようやく福岡でもはやってきた内部が空洞回廊式の巨大なマリオット・マーキス・ホテル(私も泊った)の町など、挙げていけばきりがない。
 本書については、秋元律郎氏が名著『現代都市の権力構造』(1971, 青木書店)の中で、デモクラシーの現実に対する批判的認識という意味で高く評価し、自らもこの方法を導入して都市の権力構造分析を試みている。
 ハンター自身、1970年と73年現地調査をふまえて1980年に、Community Power Succession: Atlantaユs Policy Makers Revisited, of North Carolina Pressを刊行し、20年間における権力構造の持続と変容を解明しようとした。このように一定の時間をおいて、同一の対象を再調査するという戦略は、リンド夫妻の『ミドルタウン』と『変貌期のミドルタウン』(中村八朗訳、青木書店、1990)をはじめ、それほど珍しくはない、ハンターの再調査を契機として、アトランタの権力構造そのものがどのようなものであったのか、という問題を中心に、最近、門口充徳氏が注目すべき研究を発表された。
 「ハンターのアトランタ、ネットワーク分析の適用」(成蹊大学文学部紀要33、1998)がそれでる。論文のタイトルからも知れるように、門口氏の独創的な貢献は、ハンターのリーダーにかんするデータを、加重声価得点法やNEGOPY技法など、新しいネットワーク分析の技法によって再解釈したところにあるを思われ、この点、本論文から学ぶことは多大であると思う。しかしハンター自身は、再調査において、結論的にも方法的にも、リンドの場合ほどのドラマティックや変化は見せていない。すべてのリーダーたちが、実名で登場しているのが大きな変化である。
(中略)
 本書は、都市を研究する人はもちろん、政治・行政・市民運動などに関心をもつすべての人に、きっと深い感銘を与え、本場のデモクラシーの味と匂いをそなえた本として読まれるにちがいない。
なお、原書の扉には、「わが家族に」の献辞があることを付記したい。
 
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