|はじめに|

 温帯域を中心に亜熱帯から亜寒帯までを含むわが国周辺海域は、豊富な水産生物資源に恵まれている。わが国では古来から多くの栄養素を水産物から得てきた。海の恵みである。代表的なものが魚貝類の可食部からの動物性タンパク質であるが、海藻のミネラル、魚類肝臓のビタミンAなど、特徴的なものも多くみられる。また、水産物は種類が多く、食生活を豊かにしているとともに、うま味成分に富むものが多い。代表的なうま味成分であるグルタミン酸およびイノシン酸はそれぞれ、コンブおよびかつお節から発見されたもので、うま味そのものもわが国で初めて定義された基本味である。さらに近年では、エイコサペンタエン酸やドコサヘキサエン酸といった高度不飽和脂肪酸や、魚貝肉タンパク質のプロテアーゼ分解物などが健康機能性に優れていることが明らかにされ、世界的にも魚食ブームとなっている。
 しかしながら、過度の漁獲努力のほか、人間活動による沿岸環境の汚染、破壊、地球温暖化によって、われわれが利用できる水産生物資源は急速に減少しつつある。また、水産生物資源量の自然変動も大きく、多くの努力にもかかわらず、未だその謎は解明されていない。そこで、魚貝類の供給を満たすために増養殖の振興が図られているが、いずれにせよ、漁獲または養殖される魚貝類を有効に利用することが、健康的な魚食を維持し続けるために重要である。
 そのためには水産生物資源の成分組成や食品学的特性をよく理解する必要がある。水産物の特徴や、利用上に当たっての留意点を記述した教科書が今までにも多くある。恒星社厚生閣から発刊された「水産利用化学」はその中でも本書の編集にあたり基本的な指針を与えてくれた成書である。一方、近年の科学技術の進展に伴って水産物利用に関する情報は大きく膨れ上がり、この方面に第一歩を踏み出すための入門書として1冊の本にまとめることは難しくなっている。本書の姉妹本というべき「水圏生化学の基礎」は、そのために水圏生物の分子レベルの知識をまとめた入門書で、水圏生物学を志す者をも対象とした欲張った本である。一方、「水圏生化学の基礎」を土台とした水産物利用の基礎もこの方面の専門書に触れる前には必要であろう。
 そこで本書は「水産利用化学の基礎」と題してこの分野の専門家にお願いして取りまとめた。本書はコラムや解説を設けて、できるだけ平易に記述することを目指したが、それでも初心者には難しいところも残ってしまった。この点はお詫びしなければならないが、本書の企画の意図を汲んで頂きたい。本書は、魚食文化の長い伝統を育み、海に慣れ親しんできたわれわれの身近に存在する多くのテーマを含む。本書の内容に興味を抱き、さらに深い内容を解説した専門書を手に取るくらいにまでなって頂ければ望外の幸せである。(後略)
2010年8月                                                    渡部終五

 
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