|はじめに|

  高度不飽和脂肪酸が科学的に初めて報告されたのは、1899年H.Bullによる高度に不飽和化された脂肪酸が魚油中に存在するという発見であったから、この種研究は今日で一世紀を経過しようとしていることになる。その間におけるアラドキン酸(AA,C20:4w6 or C20:4n-6)、エイコサペンタエン酸(EPA,C20:5w3 or C20:5n-3)、およびドコサヘキサエン酸(DHA,C22:6w3 or C22:6n-3)に関する研究について、現時点でこの方面で活躍されておられる本邦の研究者によって論述されることは、栄光の魚油化学の再認識であり、さらに今後の一層の発展にとって重要なステップとなる。


 この一世紀における油脂栄養学的研究の発展段階は、カロリーを重視して油脂を構成する脂肪酸種に無関係に食品三大栄養素中最大のエネルギーを保有するものとして論じられた時代に始まり、1920年代以後の大黒ネズミを実験動物として用いる飼育試験によって体重の増減、皮膚・尾部症状から判定した必須脂肪酸の概念提起とそれに基づく栄養状態の評価に伴って発展するところとなった。やがて第二次世界大戦が終結するとともに、アイソトープ技術なかんずく14C標識脂肪酸の利用とガスコロマトグラフを用いた脂肪酸分析技術を駆使して、必須脂肪酸であるリノール酸系列(ω6 or n-6系)、α−リノール酸系列(ω3 or n-3系)の代謝経路を確立した時期、とりわけラットなど陸上動物のω6系必須脂肪酸の確認に加えて魚類など水界動物のω3系必須脂肪酸の立証とヒトをはじめとして脂質栄養学上の両者のバランス問題、さらにそれらの延長線上にエイコサノイドとしてのシクロオキシゲナーゼ代謝産物であるプロタグランジン、リボキシゲナーゼ代謝産物であるロイコトリエンなどの解明と生理作用に関して一大飛躍を遂げるに至った。


 これらを含めて出版社恒星社厚生閣のご厚意によりて『総合脂質科学』を編集し、いささかないりとも江湖の要求に応えることができたことは望外の喜びです。本著はそれに基盤を置いて、その後の特に進歩著しい高度不飽和脂肪酸について纏めたものであるから、不明な点は前著と併せてご活用頂ければより効果を発揮するものと確信致します。
 二重結合を4個以上有する多(価)不飽和脂肪酸(polyunsaturated fatty acids, PUFA)を特に高度不飽和(脂肪)酸(highly unsaturated fatty acids, HUFA)と称する慣習は辻本満丸を鼻祖とする本邦の魚油研究者によって提唱され一般にも認められてきたものである。現時点で考えてもアラキドン酸(AA)はリノール酸系列、エイコサペンタエン酸(EPA)およびドコサヘキサエン酸(DHA)はα-リノール酸系列の高度不飽和脂肪酸であり、本書に盛られてあるように沢山の重要な生理機能を担う脂肪酸である。しかし、最近ではそれらの親酸であるリノール酸およびα-リノレン酸をも高度不飽和脂肪酸に入れて解説している若い人の傾向をみると、たしかに多(価)不飽和と高度不飽和のではどちらがより不飽和度(二重結合数)が多いのか高いのか判断し難くなっている。高度不飽和脂肪酸(highly unsaturated f. a.)も多(価)不飽和脂肪酸(polyunsaturated f. a.)に属してより不飽和度の高いものであるから、高度多(価)不飽和脂肪酸(highly polyunsaturated f. a. , HPUFA)とすれば、古い世代と新しい世代の認識の違いが避けられるのではあるまいかと愚考するが、このような新しく厄介な新造語を用いるより、先達の概念を再認識して使用させて頂くことこそ温故知新となると思いとった。したがって本書で高度不飽和脂肪酸と書く場合は二重結合4個以上の多(価)不飽和脂肪酸となり、具体的には主としてAA、EPA、DHAを指すことになる。


本書には高度不飽和脂肪酸の生成分離、分布、必須脂肪酸の代謝と機能、シクロオキシゲナーゼ・リポキシゲナーゼによる代謝産物、チトクロームp-450による代謝、PAF、免疫、癌、炎症との関係、酵素による高度不飽和脂肪酸含有脂質の合成、高度不飽和脂肪酸の利用、脳機能の脂質栄養などが記述されている。茲に聊かなりとも油脂ないしは資質に関心をもたれる学生、院生そして産・官・学において鋭意研究に従事されている研究者のご利用を期待する。

 
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