|はじめに|

 地球は水の惑星といわれるように、豊かな水が地表を循環しているおかげで、気候は温和で環境は安定し、多種多様な生物が生まれ、いま見るように人類がこよなく繁栄しています。水がなければ人類は存在できません。
 これまで森、川、海に関しては、各分野でそれぞれ詳細に研究が進められてきて、その成果を述べた本も数多く世に出ています。ところで森は海の恋人という言葉に象徴されるように、森、川、海は深く結び付いていますが、学問的にもまた行政的にも、これまで分野相互間の関わりが深く認識されることは少なく、独立して扱われることが多かったのです。このため各種の多くの河川事業が、川のことのみを考えて、海を考慮することなく活発に実施されたために、海岸侵食が進み、海の環境が悪化し、生態系が衰え、漁業が衰微した例は数多くあげることができます。それゆえ森川海を一体として捉える必要があります。
 そこで本書では第1 部で、日本の自然を中心にして、これまで一貫して述べられることが少なかった、山中に降った水が森を抜け、川を下り、海に広がる過程で、どのように振る舞ってきたかの概要を述べることにしました。第2部において、このような流れによって森、川、海の環境がどのように影響し合ってきたかを述べます。ここでは海の生きものが森の環境に与える影響についても触れます。
 一方、筆者はこれまで沿岸の海洋環境を学ぶ際に、必然的に川が海に至る過程にある諫早湾の締め切り、川辺川ダム、長良川河口堰、設楽ダムなどの構造物によって、海がどのような影響を受けるかに注目せざるを得ませんでした。そしてこの間に多くの人々に混じって、裁判所、公害等原因裁定委員会、国会の委員会、公聴会、住民討論集会などにおいて、これらの事業が環境、特に海に与える影響について意見を述べてきました。
 いま振り返ると上記の問題は、すべて公共事業による自然の水の流れを断ち切る巨大構造物に由来するものでした。それらは川を断ち切る巨大ダム、川と海を断ち切る河口堰、そして広大な湾を断ち切る長大堤防です。人体をめぐる血流はわれわれの生命を維持していますが、それが断ち切られると生命は危険に曝されます。同様に、巨大な人工構造物によって水の流れのシステムが断ち切られるとき、長年かけて形成された自然環境は大きく変わり、人々の生存・生活は顕著な影響を受け、その結果各地で激しい環境問題と社会問題が引き起こされます。
 現実に上記の地表上の水系を断ち切る巨大構造物に由来する問題点は、多方面でまた多くの文献や書籍で指摘されていますが、残念ながらこれらが事業者に考慮されることは少なく、依然として事業は継続されています。このような状況の中で、これらに共通する問題として、地表の流れのシステムを巨大構造物によって人為的に断ち切ることが、自然環境にどのような影響を与え、また社会的にどのような問題を生じるかという観点から、あらためてまとめて理解することも意義があろうと考えられます。そこで本書の第3部において、この問題にも焦点を当てて述べることを試みました。
   最近、生態学関係の研究者を中心とするグループが、「森里海連環学」を提唱して研究を進めています。これは森から海までのつながり(連環)の機構を解明し、持続的で健全な国土環境を保全・再生する具体的な方策を研究しようとするもので、その発展が期待されます。本書もこの方向に沿うことを願っています。
 沿岸の物理現象を研究対象とする筆者が、流系全体の姿を理解する必要に迫られたのは、次のような地方新聞の小さな記事からでした。その内容は、不知火海の漁師たちが、すでに球磨川に建設された3 つのダムによる漁業被害を述べて、その支流に新たに計画されている巨大な川辺川ダムの建設中止を建設省(当時)の役人に訴えたとき、担当者は「上流のダムが遠く離れた海に影響を与えるはずがない、あるとすればその証拠を示せ」といって一蹴したというものでした。
 これに応えるには流系全体の姿を知る必要があります。筆者はこれまで学んできたことをもとに、「河川事業は海をどう変えたか」、「流系の科学−山・川・海を貫く水の振る舞い」、また11 人の専門家とともに「川と海−流域圏の科学」などを著してきました。
 そして本書では、自らの勉強のため、また水系を切断することの危険性を広く知ってもらうために、おこがましくも筆者の専門外の分野にまで筆を運びました。このため、それぞれの専門家の研究成果をそのまま利用・引用したところが多いです。したがって筆者の浅学非才のゆえに、内容が偏り、理解が不足して不備・不足のところが多々あると思われます。読者には、齢90 を超えた老書生の手習いとしてご諒承いただき、この問題を考える際に多少とも参考にしていただければ幸いに思います。
 本書作成に際しては、北海道自然保護協会副会長の佐々木克之博士に、あらかじめ原稿を読んでいただき、誤解や不足しているところについて、丁寧なご助言をいただきました。深く感謝申し上げます。また本書においては既存の著書・文献類に多くを頼りました。これらの著者にも感謝しなければなりません。(後略)

 2015年8月
                         宇野木早苗

 
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