|まえがき|

 童謡「どんぐりころころ」の「どじょう」,「故郷(ふるさと)」の「こぶな」,「めだかの学校」の「めだか」に見られるように,田んぼの魚と子供たちが戯れるシーンは農村の原風景そのものである.魚が育つためには,水と餌が必要であり,繁殖のためには産卵・ふ化して稚魚が安全に育つことができる産卵場と成育場が不可欠である.特に田園の魚たちの繁殖方法は多様であり,そこには子孫を残すための目を見張るような工夫がそれぞれに施されている.彼らは水田が拓かれるよりかなり以前に,多様な生息環境を備えた湿地帯にすみついて,それぞれが繁栄するために独自の進化を成し遂げた.数千年前から始まった開田工事で湿地帯の大部分が水田に化すと,したたかな魚たちは水田を産卵場と稚魚の成育場として利用することにより繁殖を続け,これまで隆盛を保ち続けてきた.

 しかし,近年,種々の開発,強力な農薬の使用,ほ場整備,外来魚・移植魚の侵入により,これら淡水魚の産卵場と生育場の多くが奪われてしまった.このため,この半世紀で生息数は極度に減少し,メダカすら希少となって,2007年,環境省は約半数の汽水魚・淡水魚に絶滅の恐れがあるとするレッドリスト改定版を発表した.減少は魚にとどまらず,貝類,鳥類,両生類などで同時に進行し,今や田園の生態系はその全体が崩壊の危機に瀕していると言って過言ではない.

 その後,魚毒性の強い農薬は消費者の健康被害を考慮して改良され魚類へい死は減少したが,ホタルの消滅に見られるように根本解決には至っていない.また,他の減少要因はほとんど放置されたため,魚は大部分の田んぼから姿を消し,地域によってはすでに絶滅したと考えられる魚種が増加している.中でも,多くのタナゴ類,ヒナモロコ類,モツゴ類,アユモドキなどは限られた地域のため池や水路にしか生息が確認されないことから,特に絶滅が危惧されている.

 魚のすめない田んぼの米は,安全と言えるのか? 全国の消費者は米に対し不安を感じている.田んぼとその周辺で繁殖するさまざまな小動物の存在は,農薬を含め深刻な化学汚染がないことを簡単に証明できる.生きもののすめない田んぼでは,不安になるのは当然である.

 これまで多くの研究者や市民・農業団体が田園自然再生の必要性を主張し,さまざまな活動を展開してきた.最近,事の重大さを認識した国は,環境に配慮した農業の推進を提唱し,そのための事業に着手した.これらを受けて,農業者は各地で安全な食品を生産し続けるために健全な田んぼやため池・水路を取り戻す取り組みを拡大しつつある.

 2004年以来,シナイモツゴ郷の会は全国の市民団体や研究者に呼びかけて,水辺の自然再生に関するシンポジウムや情報交換会を毎年,開催してきた.地方開催にもかかわらず,全国から多くの方々に参加いただき,毎回,先進的な基調講演の内容を中心にして活発な議論が交わされてきた.その後,参加者から出版の要望が多く寄せられ,当会が企画してとりまとめることになった.まず,2006年に外来魚対策のため「ブラックバスを退治する−シナイモツゴ郷の会からのメッセージ−」を恒星社厚生閣から出版した.

 2冊目の本書では,2006年以降のシンポジウムで議論になった「田園の自然をどのように守り再生し共存するのか?」という大きな課題と取り組むことになった.自然再生と取り組んでいる研究者,市民団体指導者そして農業技術者にお願いし,次の課題について語ってもらった.「田園でなぜ魚は減少したのか?」「減少著しい魚をどのように保全するのか?」「失われた魚たちの繁殖場をどのように再生するのか?」「切り捨てられつつある全国20万個のため池をどのように保全するのか?」「ブラックバスなど外来動物の被害からどのように在来魚を守るのか?」「市民・農民団体の自然再生活動をどのようにして継続するのか?」

 彼らは,田園の魚たちの生態を慎重に観察し,自らの経験に基づいてさまざまな保全策を具体的に提言した.さらに,現場の取り組みに役立てるための手法を詳述し,また,理解しやすくするためイラストを多用することに惜しみなく多くの時間を割いた.彼らが語る新知見や新技術の多くは,崩壊寸前に陥った田園の自然を再生する上で欠くべからざるものである.

 本書が自然再生活動を担う方々や魚の生態と湿地の自然に関心のある方々に一人でも多く読んでいただければ幸いである.
2009年1月
NPO法人 シナイモツゴ郷の会 高 橋 清 孝

 
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