|はじめに|

 沿岸海域(水深が200mより浅い海)は陸域からの栄養塩負荷量が大きく,浅くて海底まで太陽光が届く範囲が広いため,浮遊藻類・海草・海藻・付着藻類の基礎生産が大きくなり,食物連鎖を通して,動物プランクトン・魚の生物量も多くなって,漁業生産力の高い,生物活動の活発な領域となっている.
 同時に人々の主な生活領域に接している沿岸海域は,漁業・海運業・工業用地埋め立て・排水処理場建設などの人類活動も活発で,人類活動と沿岸海域の自然環境はしばしば摩擦を生じ,時には深刻な社会問題を引き起こしてきた.例えば,昭和30年代の熊本県・不知火海における水俣病は言うに及ばず,昭和40年代の瀬戸内海では,オバケハゼ・背骨の曲がったボラ・油臭魚などが出現し,年間300件近くも赤潮が発生していた.
 その後,水質基準の設定,水銀など有害重金属の排出禁止,COD(Chemical Oxygen Demand:化学的酸素要求量)・リン・窒素負荷量の総量規制,汚泥浚渫などの様々な対策により,極度の汚染状態をある程度克服した日本の沿岸海域が目指すべき今後の方向は,現在世界中で問題となっている“自然と人間の関わり合い方”の手本の海域となることであろう.
 これまでのように,自然を収奪するのみでは,現在なお人口が増加しつつある人類が,“持続可能な開発”どころか,有限な地球上で生き延びていくことが不可能なことは,誰の目にも明らかである.21世紀を人類の“持続可能な生存”の時代とするためには,生産性の高い沿岸海域において,如何にして人類活動と自然環境の調和を実現し,人類に必要な食料である水産物を漁獲し続けることができるかどうかが世界的な課題になる.
 しかし,沿岸海域で人と自然がどうつき合っていけばよいのかを明らかにすることは容易ではない.その一番大きな理由は,海がどのような特性を有しているのかを,陸に棲んでいる我々人間がよく知らないことにある.
 本書は海をよく知らない私たちがどのようにして,海を知って,海の中でも我々の最も身近にある沿岸海域とどのようなつきあい方をしていけばよいかを明らかにするために書かれている.
 海と人とのつきあい方を明らかにするために,まず,人に最も身近な沿岸海域がどのような豊かさを有していて,それがどのような危機に瀕しているのかを明らかにする.次に,人が長くつきあってきた山との関わり合いの中からうまれた“里山”という山のあり方を参考にして,海と人とのつきあい方を示す新しい言葉として,「里海(さとうみ)」なる概念を提案する(柳,1998a,1998b,2005a).
 本書では「里海」を「人手が加わることによって,生産性と生物多様性が高くなった海」と定義する.そして,「里海」を実現するために,私たちは今何をしなければいけないのかについて論じる.
 
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