|はじめに|

  深海産の鉄−マンガン団塊は,イギリスの海洋観測船チャレンジャー号(H. M. S. Challenger)の航海(1872〜1876)において,1873 年 2 月 18 日,大西洋カナリア諸島のイエロ島沖南西約 300 km の深海から初めて採取された.この航海では,様々な形態と内部構造をもつ団塊が,大西洋,インド洋および太平洋の深海から大量に採取された.しかし,団塊は,基本的には,岩石の砕屑片,固結した火山灰,燐灰石,化石などを核として,鉄−マンガン酸化物が年輪状に成長したものであった.

 チャレンジャー報告書は 525 ページにも及ぶ膨大なもので,団塊に関する記載およびスケッチは見事であり,団塊の起源にも言及しており,その後の鉄−マンガン団塊に関する考え方を支配していると言っても過言ではない.さすがに,当時の分析感度は低かったため,コバルト,ニッケル,銅などの元素濃度は,しばしば,“微量”と報告されているが,現在では,深海産の団塊中にはこれらの微量元素が非常に濃縮されていることが明らかにされ,鉱物資源として注目されている.

 一方,スコットランドの入江,バルト海や黒海のような内海にも,鉄−マンガン団塊は豊富に存在する.また,鉄−マンガン団塊が湖に存在することは,何世紀にもわたって知られており,中世にはスウェーデンで,19 世紀末にはケベックで,それぞれマンガン鉱物として採鉱されていた.五大湖にも豊富に存在するが,日本では,琵琶湖において,粒径は 5 mm オーダーであるが,その存在が報告されている.ただし,沿岸や淡水産の団塊は,深海産のものに比べて,成長速度が速く,その微量元素濃度は低い.

 陸地には,熱水起源,堆積起源,浅成起源の鉄−マンガン酸化物の鉱床が存在するが,海産の鉄−マンガン団塊も,化石として,ヨーロッパアルプスのような山地,ウクライナのニコポリのような平地,またインドネシアのティモール島,オーストラリアのグルート・アイランド島のような島にも存在している.ニコポリやグルート・アイランド島のものは,マンガン鉱山として利用されている.

 先進各国は,チャレンジャー号航海から 100 年を経て,1970 年代から精力的に鉄−マンガン団塊の調査・研究を行った.アメリカは DOMES(Deep Ocean Mining Environmental Study)計画によって,赤道太平洋の北東部にあるクリッパートンとクラリオンの両断裂帯に挟まれた海域(CC Zone;いわゆるマンガン団塊ベルト)の環境を物理,化学,生物および地質学的に調べ,その成果を“Marine Geology and Oceanography of the Pacific Manganese Nodule Province”として出版した.引き続き,MANOP(Manganese Nodule Program)計画によって,その生成過程を明らかにするため,鉄−マンガン団塊が存在する代表的海域および存在しない代表的海域(赤粘土,珪質軟泥,半遠洋性堆積物,熱水性富金属堆積物および石灰質軟泥)が設定され,その環境が徹底的に調べられた.その後,コバルトに富む鉄−マンガン・クラストの研究のため,中部太平洋の海山が重点的に調査され,その成果は“Chemical Composition of Ferromanganese Crusts in the World Ocean : A Review and Comprehensive Database”に収録されている.

 ドイツも,DOMES 計画と同じ CC Zone,ペルー海盆および太平洋の海山を調査し,その成果は“The Manganese Nodule Belt of the Pacific Ocean”という単行本に纏められている.

 日本では,地質調査所が 1974 年から 1983 年にかけて,ウェーク島の東からタヒチ島の西までの海域を 10 次にわたり,白嶺丸を用いて精力的に調査・研究し,その成果を航海報告書として出版すると共に,論文として発表している.その後は,熱水起源の鉱物が研究の対象となり,伊豆・小笠原海域の調査が行われた.現在は,金属鉱業事業団などによって,コバルトに富む鉄−マンガン・クラストなどを対象として調査が継続されている.このように,鉄−マンガン団塊およびクラストの調査・研究は,解明できなかった点を残しながらも一段落したが,鉄−マンガン団塊に関する適当な日本語の解説書が見当たらない.

 出版されている地球科学関係の解説書を見ると,鉄−マンガン団塊およびクラストの起源に関しては諸説紛々である.これが,浅学非才を顧みずこの本を著す動機の一つでもある.1)海底の熱水作用で生成したという説,2)海水に溶けている元素が沈殿したという説,3)海底を構成する玄武岩が分解され,その中に含まれている元素が濃集したという説,4)海底に棲んでいる生物が元素を集める役目を果たしたという説などである.地球物理学や地質学が専門の方が書かれた本では,1)の熱水説が多いようである.これらの説は,4)を除き,チャレンジャー報告書で議論されたもので,ある意味では正しいと言えるが,元素の供給源と団塊およびクラストの生成機構が混同されている.

 元素の供給源としては,岩石の風化によって陸から海に運び込まれたものと熱水によって海底から海に運び込まれたものの 2 つである.マンガンは,陸から運び込まれた量より熱水によって運び込まれた量の方が多いと見積もられているので,マンガンについては熱水起源と言えないことはない.海底における玄武岩の風化の寄与は,あっても僅かであろう.鉄−マンガン団塊およびクラストの生物起源説は,魅力的である.確かに,団塊中には多くの有孔虫が棲息していて,膠着性の物質を分泌し,いろいろな生物起源の粒子を集めて外殻を作り,団塊の物理的構築に寄与している.しかし,これらの生物が,元素を特に集めたという証拠はない.コバルト,ニッケル,銅など微量元素を集めたのは,マンガンおよび鉄酸化物である.一方,団塊中に棲息しているマンガン酸化バクテリアが,マンガンの酸化を促進して,団塊およびクラストの成長機構に関与したことはほぼ確かである.

 現在では,鉄−マンガン団塊およびクラストは,海水起源,酸化的続成起源,亜酸化的続成起源および熱水起源の 4 つの端成分に分類され,それぞれ特徴的な形態,化学および鉱物組成をもっていることが明らかにされている.当然のことながら,端成分の中間的なもの(海水起源−酸化的続成起源および酸化的続成起源−亜酸化的続成起源)が存在するが,これは,団塊およびクラストの生成環境による分類である.

 鉄−マンガン団塊およびクラストの成因を議論する場合は,a)元素はどこから供給され,どのように団塊およびクラストが成長している場所に運ばれたか,b)鉄およびマンガン酸化物がどのようにして団塊あるいはクラスト状に成長したか,c)微量元素はどのようにして濃縮されたか,d)団塊およびクラストの成長や微量元素の濃縮は無機的に進行したかあるいは生物が関与したかなど整理して考察する必要がある.これらの要素については,仮説の段階のものもあるが,ほぼ明らかにされている.残されている最大の謎は,成長速度の遅い鉄−マンガン団塊(数 mm/106 年)が,堆積速度の速い堆積物(数 mm/103 年)中へなぜ埋没しないかということである.  私が鉄−マンガン団塊に興味を持ったきっかけは,核燃料の再処理工場から放出される低レベル放射性廃液中の核種が,海洋環境においてどのように挙動するかに関する研究に携わったことである.海洋は一種の大きな蒸発皿である.それにもかかわらず,鉄およびマンガンを除く微量元素の海水中の濃度は,今までに知られている最も難溶性の化合物の飽和濃度より一桁以上低い.これは,主に生物起源の沈降粒子が海水から元素を取り込んで海底に運ぶためである.しかし,生物起源の沈降粒子は海底に沈積後,分解して底層水中に戻ってしまう.沈降粒子に伴って海底に運ばれた微量元素が,海底に固定されるためには受取人がいなければならない.

 そこで,海底堆積物の構成成分である粘土鉱物,鉄およびマンガン酸化物に対する放射性核種の吸着実験を行い,分配係数を求めた.その結果,鉄およびマンガン酸化物は,粘土鉱物に比べ,調べた全ての元素に対して数桁も良い吸着剤であった.この結果と海底堆積物中の粘土鉱物と鉄およびマンガン酸化物の量比を考慮して,鉄およびマンガン酸化物が微量元素の受取人であろうと推定した.  これを裏付けるため,マンガン酸化物が生成している東海大学海洋科学博物館の地下海水給水系をモデルとして,マンガン酸化物の鉱物の生成機構,マンガン酸化物への微量元素の編入機構などを調べた.その成果については一章を設けて解説するが,これらの結果と報告されている調査・研究成果に基づいて,マンガン団塊の生成機構および海洋環境における微量元素の循環機構を考察した.

 この小著は,日本海洋学会機関誌「海の研究」に,総説として発表したものを,訂正・加筆したものである.そのために,詳しく書き過ぎた冗長な部分がある.お急ぎの方は,その部分は飛ばして,“まとめ”の部分を読んで頂きたい.

 
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