|はじめに|
 海洋生態系においては基礎生産を担う植物プランクトンが,海中の,あるいは海に食糧を依存する生きとし生けるものすべての生命の源となっている.われわれ人間も海から豊かな水産物の恵みを受けており,その根源は植物プランクトンにあるといえよう.海洋の植物プランクトン群集は多種多様な分類群の生物から構成されており,これは陸上の主要な基礎生産者が維管束植物門など植物界の一部のグループから構成されている点と大きく異なる.海洋の基礎生産者である植物プランクトンは,真核生物で9門,原核生物の藍藻類を入れるとさらに多様な生物群から構成されていることになる.海産種の数は5,000種を超えるとされており,淡水産種で15,000種以上知られているが,実際には未だ調査が十分に進んでいない海産の方が種数は多いと考えられている.このように多様な植物プランクトン種の中には,大量に増殖して赤潮を形成し魚介類に致死作用を示すもの,あるいは高等動物に対して致死作用等をもたらす毒を生産し細胞中に保有するもの等,様々な有害有毒プランクトンが存在している.とくに赤潮による養殖魚介類の大量斃死と有毒プランクトンによる有用二枚貝類の毒化は,水産における大問題としてだけでなく,海洋生態系への悪影響から環境問題としても認識されている.
 有害赤潮による漁業被害としては,具体的には100年以上も前から渦鞭毛藻類のカレニア(Karenia mikimotoi)によるものが報じられており,コクロディニウム(Cochlodinium polykrikoides)やラフィド藻類のシャットネラ(Chattonella spp.)等による養殖魚介類の大量斃死が深刻なものとしてあげられ,現在もそれらによる被害が続いている.大規模な被害を伴った記憶に新しい有害赤潮としては,八代海や有明海において2009年と2010年に発生したシャットネラ赤潮,および豊後水道に面する宇和海で2012年に発生し養殖魚介類の大量斃死を引き起こしたカレニア赤潮等があげられる.加えて外来種と推察されるヘテロカプサ(Heterocapsa circularisquama)による二枚貝類の斃死被害も深刻であり,最近では日本海の佐渡島にある汽水湖の加茂湖を舞台として養殖カキに対して新たに斃死被害が発生するようになっている.さらに珪藻類による養殖ノリの色落ち被害は,有明海や瀬戸内海等を中心にほとんど毎年発生し,春の珪藻赤潮によってノリ養殖はシーズンを終えるというパターンが定番化している.
 有毒プランクトンによる水産被害に目を転じてみると,北日本を中心に,下痢性貝毒や麻痺性貝毒による有用二枚貝類(ホタテガイやカキが中心)の基準値を超える毒化がほぼ毎年起こり,出荷の自主規制がなされている.特に麻痺性貝毒による二枚貝類の毒化状況を俯瞰するならば,出荷規制の発生する海域が近年は大阪湾など西日本沿岸域にも拡大して定着した感がある.また,気仙沼湾では2011年の大震災に伴う巨大津波で壊滅したホタテガイ養殖が,関係者の必死の努力によって復興の努力がなされ,やっと出荷が可能になり再開された2013年にこれまでほとんど発生の記録のなかった麻痺性貝毒によって出荷が規制され,水産業の復興全体に暗雲が立ち込めてきている状況にある.さらに海藻類に付着する有毒渦鞭毛藻類も,海洋温暖化に伴って世界的に分布が拡大する傾向にあるといえる.
 有害プランクトンによる赤潮の発生と有毒プランクトンによる魚介類の毒化の機構は,種特異的かつ水域特異的であり,したがってその発生の予察もまた同様である.よってこれらの発生予察や被害軽減に向けてのモニタリングは,対象とする原因生物と水域環境の多様性をしっかり考慮し,それらの特性に立脚する必要がある.以上から,原因となっている有害有毒プランクトン種について,分類・生理・生態・生活環・個体群動態等に関して,現時点における研究の到達点を総括し,将来の有望な展開や,研究のボトルネックになっている問題点等の整理を行うことは喫緊の課題といえる.本書においては,有害有毒プランクトンに関する研究成果について近年の知見を広く総括し,発生機構に基づく赤潮や貝毒の予知・予察の可能性を探り,これからの研究の進展方向を展望する.
 本書が現役の研究者のみならず,赤潮研究に取り組む新参研究者や機関職員,関係の学問領域に関心を抱く学生の皆さん,あるいは現場で養殖等の水産関係の仕事に関係している方々の参考になることを切に祈念します.(後略)

2015年12月
     今井一郎・山口峰生・松岡數充
 
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