|はじめに|
 水圏微生物の最初の観察は,17 世紀にまで遡ることができる.レーベンフック(1632−1723)は,オランダのデルフト市で織物商を営む傍ら,自作の高性能単レンズ顕微鏡を用いて様々な試料を観察し,その結果をロンドン王立協会への書簡として報告している.一連の書簡の中で原生動物と細菌の最初の観察記録とされているのが,1676 年10 月に送られたものである.そこには,雨水,河川水,井戸水,海水の中に多くの“小動物” が存在することが記されている.レーベンフックの報告は,王立協会が出版する科学専門誌Philosophical Transactions に掲載され,当時の多くの科学者の興味を集めたようである.その後およそ2 世紀を経た19 世紀に入ると,細菌の分離や純粋培養技術が確立され,実際にこれらの“小動物” を対象とした学問分野である微生物学が始まる.
 「どこに,どんな微生物がいて,何をしているのか?」という問いは,300年前のレーベンフックの観察以来,水圏微生物学における最も基本的な問いの一つであろう.微生物は地球上に最初に現れた生物として,地球環境の維持,変遷に基盤的役割を担ってきた.同時に,動植物を含む他の生物とも密接な関わりをもちながら多様な機能をもつ生物群として進化し,今に至っている.地球環境や動植物を含む生態系がどのように維持されているかを理解するには,微生物について知ることが不可欠であるが,その生物としての特徴や環境に対する役割は未だに十分には解明されていない.
 スプーン一杯の海水中には百万を超える細菌が生きているが,そのうち9割は未だ培養されたことのない未知の細菌種とされている.19 世紀から現在まで,微生物学は顕微鏡観察と培養を基本に発展してきたが,培養できない微生物の存在は,環境微生物の多様性やその役割についての全体像を把握することを困難としてきた.しかし,近年の培養に依存しない方法論の発展により,この研究領域は急速に新たなステージへと移行してきた.これまで未知だった機能や相互作用などが次々と解明され,地球環境の理解に新しい方向性を示しつつある.さらに,遺伝子配列の解読技術が,次世代シーケンスと呼ばれる技術の登場によってこの10 年間で革命的ともいえる進歩を遂げており,Human Microbiome Project やEarth Microbiome Project といったヒトや地球に関わる微生物群集の多様性とその機能を包括的に理解しようとする研究が進められている.
 本書は,こうした最新の知見に基づいて水圏中の微生物の特性を理解すると共に,その生態系における役割を明らかにするため,水圏環境の中での微生物の分布,多様性,機能,相互作用などを包括的に記述することを目指した.地球環境問題が様々な形で顕在化していることをふまえ,水圏生態系が微生物の働きによってどのように維持されているかを地球スケールの事象の中で考えるための基礎となれば幸いである.
 本書のユニークな特徴として,各章の冒頭にその章のテーマに対する疑問を提示し,理解して欲しい事柄を質問形式で明示してある点が挙げられる.それぞれの章では,提示された疑問への回答を示すように構成,執筆されている.まずは質問リストを眺め,それから各テーマへの疑問をもちつつ読み進み,自分なりの回答が得られたならば,その章の内容を理解できたことになるだろう.各章末には「まとめ」として冒頭の質問への回答を簡潔にまとめ,さらに理解を深めるきっかけとして「学習課題」を挙げてあるのでぜひ取り組んでみて欲しい.
(後略)

2015年7月
Mア恒二・木暮一啓
 
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