|はじめに|

 魚類は,生得的に,あるいは経験を通じた学習により(獲得的に)様々な行動を示す.それらの中には,泳ぐ,餌を食べるといった多くの魚が水槽の中で見せる,われわれにとって馴染み深い行動から,産卵や回遊といった,水産資源の特性となる行動として水産増養殖,あるいは資源管理の技術に深く関わるものまで,多種多様である.これらの行動は,外部形態や色彩に加えてその個体の魚らしさを示す形質でもあり,水産学に関わる者に限らず,多くの人々を魅了してやまない.こういった興味深い行動も,その魚の卵成熟機構といった生理学的な事象に比べると注目度は低いが,実際には成熟した雌雄の魚が“産卵行動”を行わなければ卵の受精は起こらず,したがって繁殖が完成しないことは言を待たない.また,ときに行動は,他個体への干渉や水槽からの飛び跳ねといった,魚類の飼育を行う上での不都合な要因となる場合もある.
 他の脊椎動物と同様,魚類の行動の発現および調節には,環境要因や生理的要因が強く関わっており,これらの要因と魚類の行動の関係を明らかにする行動生物学的研究の進展には目覚ましいものがある.行動の発現に直接的あるいは間接的に関わる環境要因や生理的要因に関する知見が集積されることにより,それらの要因との関係から,魚類のある行動がどのような調節機構によって,あるいは何を目的として発現するかが,徐々に明かにされてきている.
 しかしながら,魚類の行動や行動の発現調節機構に関する基礎生物学の知見は,水産業の関心事である魚類の資源管理に十分に反映されているとは言えないのが実情である.将来的には,魚類の行動の発現機構の研究成果を活用し,ある行動を人為的に誘起すること,適切なレベルに保つこと,あるいは必要に応じて抑制することによって,魚類の資源を効果的に管理し,持続的な利用に向けることが期待される.
 このような目的の下,平成24年度日本水産学会春季大会において,ミニシンポジウム「水産資源管理に向けた魚類の行動研究」を開催した.本ミニシンポジウムは,水産学分野において魚類の行動研究を行う研究者が集まり,研究上の有機的なつながりをもつことによって魚類の行動研究がさらに充実,発展することを企図して開催した.発表の場においては,魚類の行動の発現調節機構についての生理学,生化学,生態学などの基礎生物学的観点からの研究を紹介するとともに,漁業,養殖,栽培漁業,保全,駆除といった,水産業に直接かかわる視点に立った応用的な行動研究を紹介した.特に,行動の発現調節機構に関する知見を水産資源管理の技術として応用する視点に立った研究について,各発表者のそれぞれの視点から紹介され,議論が進められた.
 魚類の行動研究という切り口でのシンポジウムは,日本水産学会では初めての試みである.今回のミニシンポジウムを契機とし,様々なテーマで行われている各研究者の魚類の行動研究の方法論や実験技術について理解し,これらを多くの研究者で共有する中からさらに新しい研究の展開に向かうことが期待された.そのため,水産学シリーズとしての刊行に際しては,それぞれの研究分野の第一人者を新たに執筆者として加え,内容的な充実を図った。さらに,魚類の行動や行動研究に興味を抱き,この研究分野のさらなる発展の担い手となる若手研究者,大学生,高校生に魚類行動研究の基礎と現在の進展を伝えることを主題の1つとした.全体を通して,魚類の行動研究の知見を水産資源管理に応用する際,あるいは実際に漁業,養殖,栽培漁業,保全,駆除といった事業に取り組む中で,魚類の行動研究の視点を組み込む際の参考となることを目指した.本書の内容が実際に魚類の行動を切り口とした水産学分野の発展の一助となれば,筆者一同,大いに幸せである.

 2013年3月
棟方有宗
小林牧人
有元貴文

 
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