|はじめに|

 日本はマグロ類の生産大国であると同時に消費大国であり,なかでもクロマグロが,国際的・国内的に強い関心をもたれていることはよく知られている.2010年3月のワシントン条約(CITES)第15回締約国会議において,モナコの提出した大西洋・地中海産クロマグロの国際取引禁止案が,強い注目を集めたことはなお記憶に新しい.  クロマグロ養殖業の技術開発・研究開発は,1980年代において,国内では水産庁のプロジェクトを起点とするが,国際的にはスペイン・オーストラリアが90年代初頭に蓄養(本書では原則としてJAS法に即して養殖に統一する)を手がけようとしていた.生物種としてのマグロ研究は大型魚であるため長い間手つかずの状態にあったが,公的研究機関,民間企業などの地道な研究が続き,ようやく2002年,近畿大学がクロマグロの完全養殖に成功する.2003〜07年に21世紀COE,08年からグローバルCOEに採択され,さらに官民の諸研究機関が精力的に研究に取り組み,いまや人工種苗の産業的量産化が課題になりつつある.  高度回遊性魚種であるマグロ類は周知のように,地域漁業管理機関の規制下にあるが,クロマグロ養殖業の世界的勃興により,養殖用種苗として稚魚・未成魚の過剰漁獲が加速され,資源管理が強く求められている.クロマグロの親魚養成技術,良質卵確保に必要な環境条件,初期減耗,衝突死,共食い,衝突死,皮膚損傷,輸送後の大量死などの解明がすすんだ.クロマグロ仔稚魚の栄養素要求は他魚種と大きく異なるが,仔魚用微粒子配合飼料や稚魚用配合飼料が開発され,飼養と飼料の両面から種苗生産産業化が開かれつつある.水銀含有量の分析から,養殖マグロが天然マグロより安全性に優れることも明らかにされた.それを出発点として,養殖水産物全般の認証制度をいかに築くか,食品のリスク分析に対する必要性が認識されている.  ?21世紀初頭,2,000t程度であった日本のクロマグロ養殖量は,ICCAT(International Commission for the Conservation of Atlantic Tuna:大西洋マグロ類保存国際委員会)の規制により生産量を急減させた地中海に代わり,2010年には1万t近くに達したと思われる.オーストラリアのミナミマグロを上回り,世界一の生産量を誇る.長期的経営不振に苦しむ多くの魚類養殖業をよそに,水産大手から漁家上層に至るまで新規参入が盛んである.大手商社など水産業外部からの参入も珍しくない.イノベーションとして事業展開するマグロ養殖業は,収益性の見込める有望業種として期待が大きい.  以上,クロマグロ養殖業の技術と経済の一端に触れたが,本書はその全貌を技術開発の到達点ならびに経済的成果の両面から分析し,今後の課題・展望に及んでいる.産業としての展開過程から現状を把握し,未開拓の研究分野を切り開こうと試みた.養殖クロマグロは貿易統計を除けば,正式統計は現在でもごく少ない.ブラックボックスにおおわれているクロマグロ養殖業に対し,技術開発を究明し最高級商材のマーケットに流通・経済分析を加えた本書は,研究者・行政担当者・企業・貿易団体などに類書に見ない有用な情報を提供すると確信する.  思えば養殖クロマグロが土・日・祝日を中心に量販店で販売され,時々ではあるにしろ国民一般の食卓にのぼり,あるいは回転寿司店で食べられるようになったのは僅々数年のことである.クロマグロは社会的ニーズとして定着した.もともとマグロは水産物のなかでは例外的に,一般読者層の関心が強い.漁業関係者のみならず多くの読者が本書を手に取っていただければ幸いである.
2011年新春
                    熊井英水
                    有元 操
                    小野征一郎

 
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