|はじめに|

 2004年春、松島湾に面する宮城県一の潮干狩り場から突然アサリが消えた。潮干狩り場は、開口してから数日で閉鎖になった。その後、湾内の潮干狩り場からは次々とアサリが消え、湾内での潮干狩りはほとんど中止になり現在に至っている。松島湾の一角、里浜では3000年前の縄文時代からアサリ捕りが行われていた。庶民の楽しみとして江戸時代からはじまった「潮干狩り」には300年の歴史がある。豊かな海、松島湾で3000年続いたアサリ採りの歴史、300年続いた潮干狩りの文化が、数年前から途絶えた。
 その原因は北朝鮮や中国から輸入したアサリに紛れて国内に移入した巻貝のサキグロタマツメタによる食害だった。貝殻の先が黒く在来種のアサリを大量に食害することからついた別名が「海のブラックバス」。数年前までは水産の現場にも一般にもまったく知られていなかったサキグロタマツメタは、北は青森県から南は熊本県まで、日本各地に分布を広げ、あちこちで食害が問題になっている。
 2004年以降、テレビや新聞・雑誌などに100回以上登場し、すっかりその名が知られたサキグロタマツメタ。しかし、その生態は謎に包まれている。いつごろ、どこから、どのようにして日本にやってきたのか? なぜ宮城県や福島県では大発生しているのか? アサリをどのぐらい食べるのか? アサリしか食べないのか? どうやって駆除したらいいのか? そもそも駆除すべきなのか…。外来生物法の施行、北朝鮮への制裁にかかわるアサリ輸入禁止と偽装迂回輸入問題など、サキグロタマツメタは国際間の問題にもかかわり、国会の委員会での議論にも上っている。このような、水産をはじめとして環境、歴史、文化、政治、国際など様々な問題に関わっていながら、その実態はほとんど知られていない貝は皆無であろう。
 そこで、本書はこれまでのサキグロタマツメタに関する知見を集積し、水産の現場、研究者、一般にも広く、わかりやすく提供することを目的に企画された。サキグロタマツメタの水産現場での問題のこれまでの経緯と現状、今後の展望について述べるとともに、サキグロタマツメタの生物学的特性を明らかにし、外来生物としての視点からみたサキグロタマツメタについても言及した。また、生物を人為的に大量に移動することの意味、経済と環境、あるいは生物多様性とのかかわりについてサキグロタマツメタを視点として考察した。できる限り最新の知見を盛り込むことを心掛けたため、学会や研究会などでは発表したが、論文としては出版されていない内容も含まれていることをご理解いただきたい。複数の著者により執筆され、形態から法律まで幅広い内容を扱っていることから文体の統一も難しかったが、どの章から読んでも理解できるような構成にした。水産の現場の問題としてだけでなく、サキグロタマツメタという貝を通して見えてくる人間社会の問題についても読者が考えるきっかけになれば編者としては望外の喜びである。

2010年11月
       著者を代表して 大越健嗣・大越和加


 
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