|はじめに|

 「海原の 沖辺に灯し 漁る火は 明かして灯せ 大和島見む(巻第十五3648)」等,万葉集にも収められているように,灯光を利用する漁は1,300年前の歌詠(よ)み人の共通認識となるほど,すでに沿岸各地で行われていた.
 この篝(かがり)火(び)を灯(とも)していた万葉の頃と現在では,イカやサンマ・アジ・サバ・イワシなど灯(ひ)につく水産動物の対光行動は大きく変わったのか?空中を煌々(こうこう)と照らす大光量が無ければ,産業として成り立つほど獲れないものか? 操業過程の中で灯光のもつ意味は何か? 実操業中の現象を見つめ直し,漁期と漁場の特徴,対象生物の行動特性を合理的に応用する灯光の操法を工夫すれば,諸々の省エネ・環境保全対策,そして何よりも漁業経営に光明を見出せるかも知れない.
 本来,漁(ぎょ)灯(とう)は,対象生物を効率よく誘い,獲るために使われた漁具である.その灯光で光量競争を重ね,エネルギー多消費型産業となってきた灯光漁業がこれからもこの延長線上で存続することは難しい.燃油は輸入品であり,その消費量をどう減らし,CO2等の排ガスをいかに減ずるか,これを努力目的として世界各国は競い始めている.
 この輸入燃油を多量に使って漁獲した製品は,「国産品」と言えるだろうか? このままでは,灯光漁業の漁獲物は「輸入品」または「石油製品」と言われても仕方が無い.自然に負荷をかけ過ぎず,自然との相性がよい技術を産みだしてきた日本の人びとの特長的な生き方を技術革新に活かせないだろうか?
 LED光源の漁灯としての実用化および燃油価格の乱高下,地球温暖化抑制気運の高まりを機に,この問題解決をテーマとして志を共有する漁灯のユーザー,メーカーおよび行政・研究の担当者がシンポジウムの開催と出版を企画した.本書では,漁業という「自然相手の産業」,「食糧生産現場」における生物現象を光によって制御するおもしろさとむつかしさ,課題の所在を伝えたい.
 なお,灯光を利用する漁業を本書では「灯光漁業Light fishing」と記述した.また,これまで「集魚灯」と呼ばれ,集魚機能を強調するあまり,光量増が漁獲増に直結するイメージを漁業者にも生活者にも定着させている灯具を「漁(ぎょ)灯(とう) Fishing light」と表記・呼称し直すことを提案した.なぜなら,この灯具は光で対象種を集めるだけではなく,誘導・駆集,時には点滅光に対する忌避・集約反応なども利用し,漁具を見え易くあるいは見え難くする効果も加えて,対象生物の行動を漁獲へとコントロールしているからである.さらにソナーや魚群探知機などの超音波測器の機能向上と普及で,漁獲対象生物の探索および対光行動のモニターリングが簡易になり,「探し・近づき・誘い・獲る」操業過程に沿って灯光の利用方法が変化している.この光源と操法の転換期には,漁業者・灯具メーカー・関係者の灯光利用に関する意識変革も必要であり,環境に配慮しながら,円滑に操業を進めるための灯具・灯光の本質を見究めようという意味を込めた.各章でその意図を読み取って頂ければ幸いである.
 「T.灯光漁業を支える研究の視点」のパートでは,漁灯に必要な機能や利用技術を整理し,漁獲対象生物の光感覚と対光行動,および灯光の透過媒体となる漁場海水の光学的特性と海中の光環境測定に関する研究がどこまで進み,どんな課題が残されているのかを概観した.「U.光源・灯具,超音波測器からみた灯光漁業」では,漁灯光源の特徴,船上・水中漁灯の灯具としての構造・使用上の特徴と留意点について述べた.また,対象生物の集群状況や行動について,漁灯利用に有効な即時情報を得るための超音波測器の実践的な応用方法も解説した.「V.主要灯光漁業における漁灯利用の現状と課題」では,サンマ棒受網漁業者,イカ釣り漁業を支援する研究者,旋網漁業に関わる漁協指導部担当者が,それぞれの観点から現場に即した漁灯利用の取組みと課題を報告している.T〜Vをふまえ,「W.水産行政・技術開発支援からみた灯光漁業の展望」では,灯光漁業の種類・経営体の多い長崎県の具体例と共に,灯光漁業の技術・制度に対する自治体および国の取組みと将来展望を示した.
 日本でよく食卓にのぼる魚類やイカ類が光に誘われ,その対光行動によって漁獲される灯光漁業の実際を知る人は少ない.この興味深い生物現象と産業の特性を多くの人に理解して頂き,生産力豊かな水産フィールドに囲まれた日本とその中で起こる食糧問題,エネルギー問題,環境問題の連関を考える機会となり,灯光漁業が先進国の産業としても見直されることを希望している.
 平成21年8月
          稲田博史・有元貴文・長島徳雄・飯田浩二

 
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