|はじめに|

 マグロ類で見られる「ヤケ肉」の現象は, 日本近海の養殖漁業、旋網漁業, 一本釣漁業などのいずれでも起こり, 関連産業にかなりの損害を与えている.「ヤケ肉」発生機構の解明と防止法の開発は高品質マグロ肉の安定供給のために重要な課題である.「ヤケ肉」とは,マグロ肉特有の赤色が透明感のない白色に変わり,時間が経過するとさらに褐色へと変化する現象である.同時に肉質は粘稠性が低下し水っぽい食感となり,ひどい時には身割れや筋肉組織の崩壊が起こる場合もある.また,ヤケ肉は強い酸味やエグ味を呈することが多い.したがって,刺身など生食用としてはもちろんネギトロなどの加工品にも使えない場合が多い.
 しかし,「ヤケ肉」は魚体の外側からは見えないので漁業者が発見することは稀であり,生産現場から離れた消費地市場などでマグロが解体されて初めて発見されるため,原因と結果の関係を結びつけることは困難であり,防止対策は不明のままであった.本書は, 農林水産省の新たな農林水産政策を推進する実用技術開発事業(旧 先端技術を活用した農林水産研究高度化事業)「大型魚の漁獲ストレス緩和技術導入による高鮮度維持システム開発(2007〜2009年度)」の参画研究者と近畿大学の研究者グループの最新の成果をまとめたものである.いずれもマグロ類関係漁業者の全面的な協力のもとで「ストレス」をキーワードに挑戦した内容であり,最新の科学的知見と現場で対応できる提案が盛り込まれたと自負している.
 これまでのマグロ「ヤケ肉」に関連した国内の研究を紐解くと,金光庸俊氏が1962年に大洋研究所の報告書に発表したのが最初と思われる.ヤケ肉はマグロの体幹中心部ほど強く生じ,筋肉タンパク質に著しい変性が起きていることが報告された. 1978年に小長谷史郎氏らは,筋肉タンパク質のin vitro実験でマグロ「ヤケ肉」の原因は高体温と低pHの相乗作用であることを提唱した.その他ブリなどでも同様の研究が行われてきた.一方では早くから, 豚肉などで起こるWatery Pork現象が問題となり,高体温と低pHの相乗作用に加えて遺伝形質にも左右されることが報告されている.
 本書の内容を少し紹介する.ヤケ肉の原因として,高体温と低pHの相乗作用についてモデル実験と現場での膨大な実測データから,ヤケ肉発生の危険性の高い温度・pH域を説明できるところまで到達できたと思われる.一方, ストレスに対応する生物応答についても解明が進められた.また,ヤケ肉とミオグロビンの変化の関係も単純でないことが新たに分かってきた.さらに,「ヤケ肉」を防止するためのマグロのストレス緩和方法,漁獲時の取り上げ方法,魚体処理法,冷却方法などについて提案をまとめることができた.
 この「ヤケ肉」の問題は,程度に差はあるものの高速で遊泳する赤身魚全般に共通した現象であり,その中で最もドラスティックな現象がマグロ類で起こっていると考えられる.それゆえ、ここで記述されている内容は、マグロにとどまらず、広範囲に応用可能であることを強調したい.本書は水産業と水産研究のノウハウとシーズが随所に満ち溢れており,マグロ関係者だけでなく多くの漁業関係者,研究者,行政担当者,食品関係者等にぜひ手に取って読んでいただければ幸いである.また,適正な資源管理の下で量よりも品質をより重視する水産業を支援するために書かれた科学書であることを読み取っていただければ,望外の喜びである.
2009年 師走
              今野久仁彦,落合芳博, 福田 裕

 
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