|はじめに|

 生命の誕生は海で,その後の生物の進化もほとんどが海を舞台として行われてきた.海は生き物のゆりかごといわれるゆえんである.現在でも海を含む水圏環境には進化を異にした多種多様な生物が生息する.私たち人間はこの水圏の生物資源を利用して多くの恵みを得ている.
 私たちはこの海からの恵みは無尽蔵と一時は考えた.しかしながら,過剰漁獲努力による資源の枯渇化や,人間活動に伴う沿岸環境の劣化などにより,海からの恵みは有限であることがはっきりと認識されてきた.

 わが国では古くから栄養価の高い動物性タンパク質源のほとんどを魚介類に依存してきたが,畜産物を多く消費するようになった今日においても動物性タンパク質の約半分が魚介類から供給されている.したがって,わが国においては水産物の供給は国民の健康を守るための重要な課題である.一方,魚介類さらには海藻を含めた水産物には人間の健康を増進する成分が多く含まれていることが明らかとなり,水産物の需要はますます増しており,この傾向は世界的なものになっている.
 この課題に対処するためには水産資源の維持とともに,無駄のない利用を考えなければならない.そのためには水生生物の特徴を生体分子のレベルから知る必要がある.たとえば魚介類で可食部のほとんどを占める筋肉に含まれているタンパク質は果たして研究の進んでいる陸上高等動物のものと同じ性質をもっているのであろうか? その利用方法は科学的に行われているのであろうか? 効率的な利用を図るための漁獲方法は適当であろうか? 利用や流通の立場からみて増養殖に改善の余地はないであろうか? 生態や環境の特徴を利用した資源の維持管理が行われているであろうか? など,いずれも水生生物の生体分子を知らなければよい回答は得られない.
 このような立場から魚介類を中心とした水生生物の生体分子の特徴をとりまとめた成書が従来から多くある.一方,近年の科学技術の進歩は著しく,それに対応して生体分子に関する新しい知見が数多く報告されている.とくに先端的な機器分析,分子生物学的および細胞生物学的な技術を用いた成果は著しい.残念ながら水生生物を対象とした知見の蓄積は陸上高等生物のものに比べてはるかに少ないが,基本的な性質は水生生物においても当てはまるものと考えられる.すなわち,生命が海で誕生して以来,生物は同じ遺伝暗号を使って進化し,各生物に適応した代謝を構築して子孫を増やしてきた.その方法は今後も変わらないと思われる.
 そこで本書は水生生物の生体分子の基本的な特徴をもう一度整理して生化学の基礎としてまとめ,水生生物を特徴付けている変温性,系統進化的多様性,生息環境の多様性などが,水生生物の生体分子にどのように反映されているのかを知るための糧となることを目指した.したがって,本書は水生生物を分子レベルから理解しようとする生物,化学のあらゆる立場の人の参考になるような内容を企画した.本書が環境との調和がとれた水生生物の利用に役立ち,地球上で年々大きくなっている人口問題や人間活動に伴う環境変化の改善に少しでも貢献することができれば幸いである.
 本書は執筆担当者の意気込みもあり多少難しいところもあるが,ご容赦頂きたい.(以下省略)
   2008年6月   渡 部 終 五

 
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