|はじめに|

 わが国における海水魚養殖の歴史は,淡水魚のそれと比較して極めて浅く,私が知る最も古い記録は明治32年(1899年)9月8日付,香川新報(現四国新聞)による「二十四の瞳」で有名な香川県小豆島の坂手養魚場でハマチ2万尾,鯛200余尾の養殖を行ったという記事である.
 戦後,瀬戸内海を中心にハマチの養殖が築堤式や網仕切式などの生産方式で呱々の声をあげたのは昭和26年頃からである.その後,昭和30年頃から生簀網方式が開発され,これが西日本各地に普及してハマチ養殖の主流を占めるようになった.やがてこの方式はマダイを始めとする海産重要魚種の養殖に拡大され,昭和37年には第一種区画漁業の中で特定区画漁業権即ち組合管理漁業権によって行使されるようになった.海水魚の養殖で代表格であるブリ類の養殖生産量は昭和50年代の初めに至る間に怒涛の如く増大したが,昭和54年に年産15万トンの大台に乗ったのを契機として以後横這い状態が続いている.この間,マダイ,ギンザケ,ヒラメ,トラフグ,シマアジなど主要魚種の養殖技術も開発され,生産量も増大して,平成15年には合計27万3917トンに達している.しかし,ここ10年間の生産量をみると25万5000トンから27万9000トンの間で低迷しており,決して順調に推移しているとは言い難い.
 しかし,わが国の魚類養殖における飼養や種苗生産技術の進展はめざましいものがあり,養殖漁業の発展に大きく貢献してきた.ところが,それがかえって生産過剰を引き起こし,加えて最近の海外から低コスト生産された養殖生産物の輸入増加がこの産業を圧迫している.また配合飼料の使用が一般化し,その主原料の魚粉が不足傾向にあり,しかも海外への依存度が高いため,その確保が困難になりつつあり,それに伴って価格が高騰している.更には給餌・集約養魚の宿命とも云うべき魚病の蔓延と新しいタイプの疾病の発生が後を絶たず,その対策が遅れ勝ちであることなど多くの問題に直面している.
 しかしながら,海水魚の養殖漁業は今やわが国漁業の中に確実に定着しており,これら山積する諸問題をブレークスルーして,安全かつ高品質の蛋白の供給と食文化を担う重要産業として持続的安定生産を確立していかねばならない.
 本書は常に養殖現場の第一線で実学的見地から技術開発に活躍されている研究者に,その最新の情報を実用に即した形で執筆していただき体系化したものである.昨今の厳しい魚類養殖産業界にあって,本書が少しでも光明をもたらす指針となり広く江湖に活用されれば望外の喜びである.以下省略

2005年10月5日                  熊 井 英 水

 
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