|序文に代えて|
 人類が食に供することを目的として飼育や養殖する動物の中で,魚類は最も獰猛な動物である.陸上動物の牛馬や羊は勿論,トラやライオンでさえ,如何に空腹時でも我が子や兄弟を餌料としないが,魚類は共食いや捕食をする.このため魚類は陸上動物に比べてきめ細かな飼育管理を必要とする.
 「つくり育てる漁業」,とりわけ海面養殖漁業の功罪が問われて久しい.すなわち,功もあるが罪を例示すると,高密度なモノカルチャー(単一種の養殖)により発生する病気,生物資源の多様性に対する危険性,植物連鎖のなかでの餌料の低効率などである.
 年々増加傾向にある輸入および国産の養殖魚介類に対しては,消費者はその安全性・安心の観点からこれを敬遠する傾向にある.例えば,湾内に堆積した各種廃棄物による汚染が危惧される底性魚類,輸入ブラックタイガー等の抗生物質の使用,輸入ホッキガイ等の放射線照射による殺菌処理,養殖トラフグのホルマリン浴,瀬戸内海における同ホルマリン浴による真珠貝等の養殖魚介類への二次的薬浴害などの多くの事例がみられ,国内外産を問わず養殖魚介類は敬遠される傾向にある.魚介類のみではなく,野菜,果樹および他の農産物も世界で最も厳しいわが国の農薬使用基準が守られないことは,専門家の間では,周知の事実である.これは使用基準を守ると病害虫の防除効率が低下し,防除の目的を達成することができない場合さえあるからでる.ある地方のコイ養殖場では,取水した河川水が養殖池からオ−バ−フロ−して使用済み養殖水が河川に流入し,上水道に混入する残留農薬が見逃されている場合もある.このような中,他分野で急速な広がりを見せている ICタグにより,漁業生産から流通までの情報を消費者が検索できるシステムの導入が試みられ,安全・安心にも配慮されようとしている.
 一方,養殖ものは死後硬直後の解硬が早くて,解硬後のコリコリした歯応えが低く,一般消費者は締めた直後のマダイやヒラメの切り身では養殖物と天然物の識別は困難と言われる.この原因は,特に若年層は幼少期から加工食材に慣れ親しみ,本来,天然物の魚類がもつ味覚や食感を識別できなくなっており,この年齢層が消費者の多数を占めるようになったためと,専門家らは認識している.眼で食する魚肉色は給餌料中への色素材の添加により改善可能な場合もあるが,歯応えなど食感に大きく影響するテクスチャ−の改善は困難な場合が多い.
 しかし,近年,本来もっている旨味を損なわない蓄養技術が開発され,実用化されつつある.すなわち,漁獲時や運搬時におけるストレスにより生じた乳酸を減少させて,暴れやストレスで消耗したATPの量を健全魚の状態に回復させ,ATP の分解時にできる旨味成分のイノシン酸を確保しようとする方法である.
 このように,養殖および蓄養技術の進歩には目を見張るものがある一方で,一時の活魚ブ−ムは低下し,その面影は見られない.その原因は,バブルの崩壊が最大要因であろうが,魚種によっては脂肪分の多い養殖ものが多数を占めること,消費者が養殖魚に対して安全・安心を危惧するためなどと思われる.
 以上のような現状から,本書のねらいは,「海水」を利用した養殖および蓄養における魚肉質の低下防止を念頭において,養殖・蓄養の目的に即した,すなわち被養蓄魚の立場に立った実用的な養蓄システムおよび水管理技術を紹介することとした.
 「養殖・蓄養システムと水管理」の執筆に当たっては,現場を熟知した第一線の専門家にお願いした.本書の分担執筆にあたり,本書の主旨に賛同しご協力いただいたうえ,度重なるご無理なお願いを承諾された執筆者各位に心胆なるお礼を申し上げる.また,本書の出版を快諾され,ご支援を頂いた(株)恒星社厚生閣の関係各位に感謝の意を表する. 
 実際の養殖や蓄養に携わる技術者,養殖や蓄養システムとその水管理技術について学ぼうとする初学者,養殖機器の開発・製造・販売に携わる技術者や営業者などの理解と,奥義を究める一助とするため各節の後段に引用文献を付記した.特に,引用および関係する工業所有権の存在の有無および請求範囲は,下記のホ−ムペ−ジにアクセスすると,容易に検索・調査することができる.すなわち,特許,実用新案および意匠等の工業所有権の検索は,国内分は特許電子図書(特許庁電子図書館トップペ−ジ),EU分は B1-es@cenet Home page(http://ep.espacenet.com/),米国分は United States Patent などである.
   2004 年 3 月
矢田貞美
 
ウィンドウを閉じる