|はじめに|

 磯焼けという用語は,潮下帯岩礁海底に形成される海中林など葉状の海藻群落が枯死,衰退したため,それに依存して生活するイセエビ,アワビや磯付き魚類の漁獲が著しく減少する「産業的な現象」を示す伊豆半島東岸漁業者の方言で,1903 年に遠藤吉三郎博士が採用したのに始まる.磯焼けの原因と機構については様々な説があり,近年では沿岸域の都市化,工業地帯化による過度の富栄養化や汚染,また干拓や埋め立てなど人間による環境破壊との関係で議論されることもある.
 しかし,磯焼けは日本沿岸全域はもとより,海外においても 1800 年代から寒帯から熱帯まで海中林が形成される多くの海域で,しかも人間活動の影響がないと思われる外海域を中心に認められていた.このことは,磯焼けが「産業的な現象」として認識されると同時に,それ以前に自然における「生態学的な現象」であることを示している.
 したがって,磯焼けの原因と機構を議論するには,まず潮下帯岩礁域において海藻群落を一次生産者として構成される「岩礁生態系」としての単位を認め,その構造と変動機構を明らかにする必要があると考える.生態学的知識の蓄積によって,磯焼けについての一般性と,人間活動による環境破壊を含めた海域による特殊性がより明確となり,藻場修復の技術的な方針が確立できるであろう.1997 年に批准された国連海洋法による新しい海洋秩序の下で,日本における沿岸域の生産力を高水準で維持し,水産業を健全に発展させる上でも,磯焼けの機構解明と磯焼けからの藻場修復は極めて重要な課題である.
 このような状況を背景として,これまで海外においても,また日本においても多くの研究者,機関がそれぞれの立場から磯焼けについての研究を精力的に進めてきた.特に,試験研究機関における藻場修復を前提とした実証的な研究が磯焼けの理解に大きく寄与している.それらの努力の結果,特にコンブ目褐藻が優占する海中林を中心とする生態学的知見が急速に蓄積され,磯焼けの機構と克服技術の開発についてより進んだ議論が可能になってきた.
 上記の背景および研究状況を考慮して,四井敏雄・關 哲夫・中園明信ならびに谷口和也が中心となって,北海道大学水産学部で開催された平成 10 年度日本水産学会秋季大会のシンポジウムとして「磯焼け現象;その機構と藻場修復の展望」を企画した.内容は,国際的な研究の現状を視野に入れつつ,1)磯焼けの現況,2)磯焼けの機構,3)藻場修復の展望,の 3 つの柱で磯焼けについての最近の研究を紹介したものである.藻場修復は,生産者が漁業管理を可能とするだけでなく,岩礁生態系の構造と変動の機構についての仮説を実証する過程,すなわち科学的な再現性を得る意味でも重要な課題である.
 本書はこの記録をとりまとめたものであるが,磯焼けの研究,岩礁生態系の維持機構に関する研究は未だ不十分であることを痛感している.しかし,これを機会に全国各地で研究が大いに推進され,「岩礁域全体に敷衍できる生態学的理論」を確立する契機になると同時に,豊かな沿岸漁業への展望を拓く第一歩となることを願っている.

平成 11年 3 月
谷 口 和 也

 
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