|はじめに|
 さんさんと日の光が美しい庭園に降りそそぐと,人は誰でもここに日光を心ゆくまで享受しているのだ,というようなシンボルを設置してみたいと思うものです.ある人は芝生や草花を植え,ある人は適当な彫刻やその他の造形物を置きます.この彫刻や造形物の一種として,日時計を設置するということは,多くの人が考えつく所です.たしかに,日時計は太陽の光の恵みを受けることの象徴として,もっとも適当な造形といえると思います.
 日時計のように古代の文明の跡を今日に伝えるものは少ないでしょう.古代ギリシャの遺跡から発掘されるおびただしい鉢形の日時計は,既に日時計の歴史が爛熟期に達していたことを示し,すでに文献の上からはそれ以前に長い日時計の歴史があったことが知られております.そして文献の上に現われた日時計が,どのような構造をもっていたのか,今もって知られていないものも数多くあります.恐らく日時計は,それぞれの時代の社会制度,ことに時刻制度と密接な関係があり,また一方では,天体の運動に関するその時代の天文学的な知識にも強い影響を受け,時代とともに変化をとげてきたものでしょう.それらの日時計の歴史をふまえて,ある時代の日時計の特徴をたくみに取り入れたような日時計を設計・製作して,これを設置するということは,一種の歴史懐古のロマンチシズムとして,現代人の感覚に合うのでしょう.
 日時計というものは,一方では太陽などの天体の運行の性質をよく理解して正しい時刻を知るのに合理的な構造をもっていると同時に,造形作品としての面白さも備えていなくてはなりません.この両者の要素をそなえた日時計はなかなかないものです.実はかく申す筆者も,太陽の運動や時刻についての理論的な知識はともかくとして,芸術的な感覚はほとんどありません.本書の内容も,筆者が書くものですから,日時計の理論的な面が主となっております.読者は本書を読んで,日時計の原理的な面をしっかりと把握され,さらに各自の現代的なセンスをそれぞれ取り入れられて,造形芸術の面からも格調高い日時計を作って下さるとよいと思います.
 さて,日時計の実用的な面となると,私はそれほど推奨する気にはなりません.たしかに日時計はねじを巻いたり,電池を入れかえたりする手数はかかりません.しかし,夜間は使えないし,昼間でも晴れていないと使えません.だいたい日本では快晴の日と晴の日をあわせた日数は 1 年の 3 分の 1 ぐらいしかありません.晴の日でも雲が太陽を隠している時間は意外と長いものです.さらに,晴れていて雲がなければ日時計は必ず使えるものかというと,付近の建物や樹木の陰に太陽が隠れてしまうことも意外に多いものです.このようにして,日時計の使える時間はかなり制限されるものなのです.
 これに比べると,水時計とか振子時計などは,天候に左右されずに使えるという点で,日時計よりずっと使用が便利なのです.日本では,日本書紀の巻 26 と 27 との記事によりますと,天智天皇が皇太子の中大兄皇子であった時代に漏尅(ろうこく――水時計のこと)を作り,天智天皇の 10 年(西暦 671 年)の,今日の暦に直すと 6 月 10 日の日から,この漏剋を初めて用いて,鐘や鼓で時を知らせたということです.その後,この水時計によって長い間,宮中の諸政務の始めや終りの時刻,門の開閉の時刻などを司っていたようで,この装置を扱う専門官である漏尅博士も置かれていたようです.しかし,これより前にも後にも,日時計がこれに似た役目を果たしたことはありません.日時計は日常不断に使用する道具としては,あまり実用性のあるものではありません.ギリシャ時代の,日時計がさかんに用いられた時代でも,大ていは水時計(クレプシュドラ)などと併用して,日時計のよみで水時計を正して使っていたようです.
 また現代では,特に社会一般で使われている標準時というものが,後にくわしく説明しますが,太陽の運行とはあまり簡単な関係がないものとなっている,という事情もあります.このため,大ていは日時計で読みとった時刻に何らかの補正をしないと,社会一般で使われている標準時にはならないのです.もっとも,この書物の後の方でくわしく説明しますが,補正をする必要のない日時計もあるのですが,そうなると作り方も,使い方も難しいのです.
 しかし,たとえば時を知るための実用には不便であっても,日時計はいろいろな役割をします.自然から切り離されて,ビルの谷間や地下室で 1 日の生活の大部分をすごす現代人にとっては,何よりも太陽の光を思う存分享受する空間のシンボルとして,各所に日時計を設けたくなるのは,当然のことです.公園や学校に設けられた日時計は,子供たちに方位や天体の運動を教えるためのよい教材となるでしょう.ある時代の特徴をとり入れた日時計は,歴史の記念碑としての役も兼ねるかも知れません.
 日時計というものは決して大量生産して普及させるという性質のものではなく,製作者が一つ一つ工夫して,一方では太陽の運行の法則を正しく理解して合理的な構造をし,一方ではその設置された場所の環境やふんい気によくマッチした芸術的な形のものを創り出して行くべきものでしょう.
 本書がこのような日時計を作る上で,少しでも役に立てば,筆者としては幸せに思っております.
 本年は,「日本日時計の会」という会が設立されました.この会には,私と同様な考え方の日時計製作者が多く参加されて,お互いの切磋琢磨によってさらにすぐれた日時計の創造に努力される模様です.この会の設立者の何人の方からのおすすめもあり,このたび,1980 年に出版された拙著「日時計百科」の全面改訂を施し,書名も新たに「日時計 その原理と作り方」とし出版することになりました.本書がこの会の活動にもお役に立てばうれしいと思います.
2000 年 初夏
著 者
 
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