|はじめに|
 フラムスチードの名とともに,学界ばかりでなく一般社会でも忘れてならないのは,彼の著わした天球図譜である.この書はすでに古典として歴史的天文書には必ずその二三葉が挿図として採用されているものであるが,その原本は欧州でさえも稀にしか残っていなくて容易に入手できない.全天にギリシャ神話に因んだ絵図を配し,それに自分の観測による精密な位置と光度に基いて恒星を記入したこの書は全天恒星図としてまた天の壁画集として,国民の教養書となる一方,遠洋航海する航海士たちの慰めとさえなったものである.ギリシャ人の優れた芸術的構想から生まれた星座こそは,実に宇宙芸術の最たるものとして,時と所とを越えてわれらの心を躍らせるものがある.
 もし仮にこの書が300年前に日本で公刊されていたものと想像してみよう.きっとわが日本民族の星々への関心は余程違ったものとして伝えられたに違いない.元来わが国に移入された中国の星宿は主として帝星を囲む百官有司の配置によって名づけられているので,天文及び漢学の素養のない一般民衆には近づき難いものとなっていた.従って星の伝説にしても,“たなばた”の牽牛・織女の物語しかないということは,海外とくらべて如何にも淋しいことである.
 今日,学問としての天文学は星座の解説を越えて天体力学や天体物理学となっている.しかし天文学の故郷としての星座は,人間の心に情操的一面や芸術的感動が存在する限り永遠のものといえよう.ただ見れば何の奇もない星空を,例えばアンドロメダ姫と見,天馬ペガサスと見る目こそ,やがて星を生涯の伴とする奇縁とはなったのである.
 本書の原本は,京大名誉教授小川琢治博士の御所蔵のものを拝借した.初版後約80年を経て改訂されフランスで刊行された第2版であるが,それ自身既に200年を経た稀覯書である.図版原形が傷もなく保たれてきたことは全く天運といってもいい.本書の翻刻に当たって原本の使用を許可してくださった小川博士の御遺族に対し,太陰運行論研究の余暇をさいて本文を口訳してくださった七高名誉教授村上春太郎先生,並びに解説を分担された藪内清,野尻抱影先生と共にここに感謝を捧げる次第である.
1943年2月
土居客郎
 
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