|はじめに|

 天文学者のイメージはよくない.天文学者という人種は,どうも人間を超越した,喜びも悲しみも感じない無味無臭でクラーイ存在のようにおもわれているようなのだ.その原因の 1 つには宇宙のイメージにあるのではないだろうか.一般的な宇宙のイメージは,永遠不変でむなしいくらい広大な真空の空間で,その中に星や銀河がいつまでも変わることなくきらめいているものらしい.
 ところが実際の宇宙は,そんな死んだように静かな永遠不変のものではない.すべてのものは変化し,はじめと終わりがある.宇宙はビッグバンで生まれ,今とは似ても似つかない高温高密の状態から,爆発的な膨張ではじまった.宇宙の歴史ではそれ以来いろいろなできごとが起こり,波瀾万丈である.まず星や銀河などの天体が生まれた.星はいまでも生まれたり死んだりしている.死ぬときには惑星状星雲のようにきれいな姿になって花道をかざることもあるし,超新星爆発を起こして,はでに飛び散るものもある.星の一生のあとに残される,白色矮星,中性子星,ブラックホールは重力のとても強い星で,X 線を出すような高エネルギー現象をひきおこすこともある.銀河もきれいなうずまき模様で私たちを楽しませてくれるものもあれば,クェーサーのように,激しくエネルギーを出しているものもある.そのけんらん豪華なありさまは,人間の想像力をいつもうわまわっており,わたしたちに限りない驚きとよろこびを教えてくれる.
 天文学はこの 30 数年間で非常に進展した.ロケットや人工衛星などを使って観測ができるようになり,またそれとともに X 線・赤外線・電波などのあたらしい波長での観測がひらけて,つぎつぎと新しい現象が発見された.またコンピューターの発達により観測で得た膨大なデータを解析することが容易になった.それから数値計算によって理論面からの理解もたいへん進むことになった.その新しい天文学が明らかにした宇宙のイメージは,いままでのものとはまったく違う,変化に富むダイナミックなものであった.
 この本のねらいは,現代天文学があきらかにした宇宙の姿をしめし,宇宙のなかで地球と人間のおかれた位置をあきらかにすることである.はじめの 2 章は導入部で,まず第 1 章では,宇宙のすがたを紹介し,どんな天体があり,それをどんな望遠鏡や知識をつかって探るかにふれる.第 2 章では,人間の考えていた宇宙のイメージが,歴史的にどのようにかわってきたかを簡単にまとめる.第 3 章以降は宇宙の歴史のものがたりで,宇宙のなかで起こった主なできごとを,時間の順序どおりに追いかけていく.まず宇宙のはじめのようすや宇宙が膨張していることからはじまり,銀河・銀河団などの天体ができたこと,星の誕生から死までの話,太陽系ができて地球に生命が生まれたこと,最後に宇宙人がいる可能性について述べる.従来の天文学の教科書にでてくる暦や天体力学,星座は,ここではほとんどふれられない.
 この本は,主に私の講義を聴いてくれる学生たちのために書いた教科書である.大学の一般教育での天文学の講義をとる文科系の学生たちのなかには,天文マニアもいれば,理科など大きらいという人もいる.そんな学生にも楽しんで理解してもらえるように,数式は使わず,物理学,地学,天文学の知識がなくても読めるようにした.またなるべく具体的にわかりやすく絵や言葉で説明したつもりである.出てくる数字もごく大ざっぱなもので,1 と 2 のちがいはたいしたことではなく,ケタが重要だという精神であつかっている.この本の題名が,宇宙の年齢は 150 億年なのに 100 億年となっているのはそのためだ.
 私はこの本の原稿を書くとき,学生ひとりひとりの顔を思いうかべ,わかりやすくなるように考えた.だからこの本はいわばオーダーメイドの教科書であり,講義の雰囲気をかなり反映したものになっている.もっとも万人むきの教科書などあるはずもないし,もしあってもそれは少女マンガによくでてくる,国籍不明のやたらとカッコイイ,鼻の高い男の子のようなものに違いない.
 各章の終わりにつけた問題は,楽しみながらいろいろと考えるためのヒントである.読む人が自分の個性にあわせて考えやすいように,なるべくばくぜんとした夢のあるものを考えた.これをみて一人で考えるより何人かであつまって話しあえば,もっとおもしろくなるだろう.模範解答などという気持の悪いものはつけなかった.答は教えてもらうものではなく自分でかんがえ作りだすものだからだ.
 さてこの本を読みはじめるみなさんに,クイズをひとつ出しておこう.
 人間は宇宙の中でとても小さな存在である.人間の手のとどく太陽系の空間など,宇宙の中ではケシ粒にすぎないし,人間が存在している時間も宇宙の歴史の中では一瞬みたいなものだ.こんな小さな人間が,どうして星の一生や宇宙の初めや,手の届かない宇宙のむこうの空間について知ることができたのだろうか.
 私が立教大学の学生だったころ聞いた話に,この状況をたとえるこんな話がある.ある宇宙人が地球にやってきて,地球人を観察した.地球人にはいろいろな人がいる.色の黒い人,白い人,黄色い人,赤い人など,また背の高い人,小さい人,ハイハイしている人,太った人,やせた人など.宇宙人は地球人の一生を知りたいと思うけれども,残念ながら,3 分間した地球にいられない.3 分間という時間は人間の一生に比べるとあまりにも短かすぎるから,一人の子供が大人になり,老いて死ぬまで見つづけることはできない.
 だから宇宙人はこう考えるかもしれない.たとえば大きな人は生まれつき大きく,小さい人はずっとそのままで,身長は生まれつきで変わらないのだと.また生まれたときはひふの色が黒くてそのうちに赤くなり,白くなると死ぬのかなあーと.
 宇宙人はどうやって,3 分間の観察だけで地球人の一生をただしく知ることができるのだろうか.
 人間が星の一生や宇宙の誕生について知るということは,ちょうどこの宇宙人のやろうとしていることと同じである.宇宙のはじめは今から 150 億年前だし,星の一生も短いものでも数百万年である.これは天文学者の一生よりはるかに長い.また星の中心は直接目で見ることができないのに,わたしたちは太陽の中心では核反応が起こっていることを知っている.いったいどうやって,そんなことがわかるのだろう.地球も存在しなかった昔のことや,みえないところで起こっていることを,どうやって知るのであろうか.
 これがみなさんへのクイズである.こたえはこの本のなかにチラホラと見えかくれしているだろう.この本を読むときに,これを頭のすみにいれておいて,推理小説のように楽しんでいただければ幸いである.
 この本の初版が出版されてから,すでに 12 年が経つ.初版の原稿を書いていた時にはおなかのなかにいた赤ちゃんも,もうすぐ中学生になる.こどもがすくすく成長している間に,天文学の分野でも進展があった.最新機器を積んだ X 線天文衛星や赤外線望遠鏡,ハッブル宇宙望遠鏡などをはじめたくさんの衛星があがり,大望遠鏡による観測も成果をあげ,発見を重ねている.また太陽系の天体にもいろいろな探査機が飛び成果をあげた.コンピューターもさらに速くなり,理論的な研究もそれぞれの分野で新しい局面をきりひらいている.
 このようにして新しいことが次々にわかってきたため,この本もまた改訂をせまられることになった.最初の改訂は 1988 年で,その前の年にマゼラン雲に超新星が現れたのをきっかけにやや小規模の改訂をした.その後も刷りをあらためるごとに,新しく撮れた天体の写真を入れるなどの小さな修正を続けてきた.今回の改訂ではこの 10 年間に新しくわかってきたことを取り入れて,あちこちを修正した.もっとも大きな変更は銀河・銀河団の部分で第 4 章は全面的に内容が変わっている.それ以外にも最近の成果に基づいて手直しした箇所は数知れない.また図や写真をさらに多く付け加えた.ハッブル宇宙望遠鏡によるさまざまな天体の写真をはじめとして,火星に着陸したマーズパスファインダーが撮った風景やいろいろな望遠鏡による画像など,最新のものを数多く取り入れている.
 初版が出て以来多くの人に,内容についてのコメントや,著者の思い違いや間違い,ミスプリなどを指摘していただいた.ご意見をいただいた方々にはここで感謝したい.この本は私の講義をうけてくれる学生のために書いた教科書ではあるが,他の大学の講義にも広く使われ,また一般の方にも読んでいただいている.この本がこどものようにすくすくと成長し,みなに可愛がられながら成長していくのを見守ることは生みの親としての大きな喜びである.


加藤万里子

 
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